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儲ける脳のつくり方

残念なお知らせ

こんにちは
岡田です。

前回のブログを更新してから
何人かの方(二人だけ・・・)
からメールをいただきました。 

一応その方たちには
メールでお返事しましたが、
誤解されている方が
もしかしたらまだ
いらっしゃるかもしれないので
一応ここでも書き留めておきます。
(まだいるとは信じたくないですが。)

ちなみに前回のブログの内容は
こちらです。
http://okada-koji.com/blog/cat373/post_360.html

そしていただいたメールの内容は
概要をまとめますと
「それでもやっぱり自分らしさは
 大切だと思います。
 頑張らなくていいと思います。」
という内容です。

えーっと、
誤解されている方は
ちゃんと読んで欲しいのですが

僕は

頑張らなくて良い
そのままでいい

を全否定はしていません。
「自分らしさが大切ではない」
などと一言も書いておりません。

ご自分が
変わりたい!
と思っている人に
何もしてないのに最初から

頑張らなくて良い
そのままでいい


その人の望みを
否定していることに
なってませんか?

と言っているのです。

よく読んでくださいね。
結構しつこく書いてますよ^^;

斜め読みして
しつこいくらいに
書いてある内容を
さらに質問してくるのは
読解に手抜き感が
伝わって来るので
とても残念に思ってしまいました。

最近そういう人多いと
感じています。
文字離れのせいでしょうか?
本を読みましょう。

不景気の正体ってもしかして・・・

こんにちは

岡田です。

 

今日は若干イライラしています。

毒吐きます!

読まない方がいいです!

 

文章めちゃくちゃです。

どこかで論理破綻してるかもです。

そうじゃない部分もあることも

わかって書いてます。

 

でもとりあえず

今日思った事を書いてしまいます。

 

もう本当に止めて欲しいです。

何も考えてない

ラクをしたがる

キラキラ系の人たち。

 

「そのままでいいんだよ。」

「自分らしさが大切。」

 

ラクをしたがる人たちが

この言葉を使うと

とても悲しい気持ちになります。

 

誤解して欲しくないのですが

言葉そのものは

まったくその通りで

それ自体は否定しません。

 

その言葉を言い訳にして

ただラクをしたい人だけに

今日、たくさん接したので

とても悲しくなったのです。

 

心の底から聞きたいです。

本当にそれでいいのか?と。

 

たとえば

僕は料理ができません。

僕が料理をすると

とても食べられない黒い物体

ができあがります。

 

別に誰に迷惑をかけるわけでもなく

自分がそれを食べればいいと

思っているうちはそれでいいです。

 

でも、やっぱりいつかは

上手になりたいかも。

好きな人においしい料理を

食べさせてあげたいかも。

 

そう思って、

今まで遠ざけていた

「努力」をしようと、

「変わろう!」と

一大決心したとします。

(あくまで仮定の話です。念のため。)

 

そう思ったら自然と

料理教室の先生の門を

叩きます。

「教えて下さい!」

と。

 

そこではきっと初めての

経験が続くでしょう。

時に苦しさも伴うでしょう。

悔しい想いもするかもしれません。

 

でも料理は上手になりたいし

誰かを喜ばせたい!

そう思うから苦しくても

その空間に残るのです。

そして悩むのです。

やっぱり不安かも、と。

でも上手になりたいのです。

変わりたいのです。

 

その時にその先生や

同じ空間にいる仲間が

 

「岡田さんらしくないよ。」

「そのままでいいんだよ。」

「頑張っちゃダメだよ。」

「黒くたっていいじゃない。」

 

と励まします。

 

アホかと。

 

そもそも何のために

時間とお金を使って

苦しい想いをしに来ているのかと。

 

岡田さんらしさと言うなら

変わろうとしている、まさに

「今」

の岡田を見て欲しいのに

過去の岡田らしさを

当て嵌めようとするんじゃないっ!

 

これから変わろうとしている

しかもそれを希望している

岡田らしさを

否定しないで欲しい

と思うのです。

 

僕の未来を勝手に決めるなと。

 

「テクニックや知識なんていいんだよ。

 一番大切なのは自分らしさだから。

 技術なんて適当でいいんだよ!」

 

いや、あの

そんなことはわかってます。

でも自分らしさを大切にしたままだと

いつまでも黒い物体を

人に食べさせることになるんです。

 

だから

習いに来たんです。

教えてもらいたいんです。

過去の自分を変えたくて

来たんです。

過去の自分を変えたいのが

まさに今の「岡田らしさ」なんです。

 

それなのに教える立場の人が

それを否定するのは

ただラクをしたいだけじゃん。

 

岡田さんはこうであって欲しい!

という自分の価値観を

あたかも岡田のために

言っているように

押しつけないで欲しいのです。

 

逆のケースで

もし岡田が頼んでもいないのに

先生が料理の技術や知識を

ムリヤリ押し付けて来たら

周りの友達が気をきかせて

 

「岡田さんはそのままでいいんだよ!」

「岡田さんらしさを大切にして!」

 

と言うのであればわかります。

そういう時に

「そのままでいいんだよ」

という言葉を使って欲しい。

 

そしてこれは僕の例え話に限らず

誰にでも言えることです。

 

そもそも

仕事とは何だかわかりますか?

 

それは誰かの役に立つ

モノやコトなのです。

言い換えれば

誰かの悩みを解決するための

モノやコトなのです。

 

実際そうじゃないですか?

あなたの仕事もそういうものでは

ありませんか?

 

突き詰めて行くと必ず

誰かの悩みを解決したり

誰かの役に立っている

モノやコトを提供しているはずです。

 

誰の役にも立っていない

仕事に対していったい誰が

お金を払ってくれるのでしょう?

 

誰かの役に立つということは

その誰かが今の悩んだ状態から

より良い状態に変化すること

なのです。

 

つまり「そのまま」じゃない

ということです。

 

逆に「そのまま」を

望んでいる人には

商品やサービスはいりません。

仕事として成り立たないです。

成り立たせなくていいのです。

 

「そのまま」を望む人にムリヤリ

より良い状態に変化させようと

するのが「押し売り」です。

 

でも変化を望んでる人に

 

「○○さんらしくない」

「そのままでいいんだよ」

 

と気持ちよく自分に酔って

そのセリフを多用している人は

変わりたいと思っている

その人を否定し、

そのお手伝いができる仕事を

している人をも

否定していることになるのです。

 

もし自分がやられたら

どう思いますか?

 

誰かが変わりたいと

あなたに頼ってきて

そのお手伝いができる

つまり需要と供給が

マッチしているのに

横から無責任に、

 

「そのままでいいんだよ!」

「頑張っちゃダメだよ〜」

 

と言われたら。

営業妨害も甚だしいと

思いませんか?

 

これを日本中でやってるから

不景気なんですよ。

 

でもそれを言ってる人は

そんなつもりはなく

良いアドバイスをしたと

思っています。

 

そして自分の仕事だけは

特別な存在だと思っています。

 

ちなみに

自分らしさなんてものは

どんなに捨てようと思っても

必ず残るものです。

 

変えよう!

変えよう!

 

と思って

新しい知識や技術を

どれだけ吸収しても

やっぱり自分らしさは残ります。

 

放っておいても大丈夫なんですよ。

だから逆に言えば

なかなか上達しないのです。

そんなに簡単に

自分を捨て切って

100%先生の言う通りになんか

できないのです。

自分をすぐに完全になくす
なんてことはできないのです。

 

そうやってまずは本人が

一生懸命努力して

先生に教わりながらでも

頑張ってやってみて

変わろうとしたけど

もうこれ以上はムリ!と

変化に限界を感じた時に

 

「岡田さんらしくていいじゃない」

「私はそのままでいいと思うよ。」

「肩の力を抜いてよ。」

 

という言葉が最大限に

効力を発揮すると思うのです。

 

この過程を全てすっ飛ばして

変わりたいと思ってる人に

最初から何もしてないうちに

「そのままでいいんだよ」

「大丈夫大丈夫!適当で!」

 

って大丈夫じゃないと

思うのです。

 

「姿勢を良くしたいんです!」

「料理が上手くなりたいんです!」

「足がイタイんです!」

「もっとオシャレになりたいんです!」

「もっと早い車に乗りたいんです!」

「もっと快適な家に住みたいんです!」

「お花を習いたいんです!」

「子供にサッカーを教えたいんです!」

「英語を話せる様になりたいんです!」

「税務のことがわからないんです!」

「老後が心配なんです!」

「ストレス解消したいんです!」

「おいしいものを食べたいんです!」

「高級な物を欲しいのです!」

「節約したいんです!」

「お金のことが心配なんです!」

「病気を治したいです!」

「健康でいたいんです!」

「ぐっすり寝たいんです!」

「結婚したいんです!」

「恋人が欲しいんです!」

「本を読みたいんです!」

「映画を観たいんです!」

「ゴミを捨てたいんです!」

「勉強したいんです!」

「視力を良くしたいんです!」

 

「●●したいです!」

 

これらって生きる上で

糧になりませんか?

希望になりませんか?

未来ではありませんか?

 

そして

それを助けるのが仕事だと

思いませんか?

 

あなたの仕事はこの延長線上の

どこかにあてはまっていませんか?

 

「姿勢を良くしたいんです!」

「そのままでいいんだよ!」

 

って余計なお世話ですから。

 

「そのままでいいんだよ」

とそれを言う事自体が

嬉しいのか何なのか

わかりませんが

何もしてないうちから

したり顔で言う人が

あまりに多くいて

人生の手抜き感を

ひしひしと感じた

今日の出来事でした。

 

僕はそのままで良いと

思っていませんから

敢えて言います。

 

本当にそのままで良いんですか?

と。

肩の力を抜いて効果が出るのは
今まで肩に力を入れていた人です。

応援される人と残念な人の違い

こんにちは

岡田です。

 

僕のところには毎日のように・・・

 

すみません、

大袈裟に言い過ぎました。


ありがたいことに 

2〜3日に一度くらいのペースで

 

「ちょっと相談したいことが

 あるんですが・・・」

 

というメールをいただいたり

実際に会いに来てくれる人がいます。

 

本当にありがたいことです。
感謝です。

 

もちろんそれが仕事なので

多くの人とお会いするのですが

会ったあとに残念に思う人と

応援したくなる人とに別れます。

 

その違いは

言葉遣いが悪いとか

服装がだらしないとか

不潔とか

挨拶ができないとか

マナーがなってないとか

手土産を持って来ないとか

手土産を持って来ないとか

手土産を持って来ないとか

ではありません。

 

よく誤解されるのですが

僕に会いに来てくださるのに

わざわざ手土産を持って来て

いただく必要はございません。

 

持って来ていただいてもいいですけど。

 

冗談はさておき

相談相手が僕でなくても

たとえば上司であったり

先輩であったり

お世話になってる目上の方であったり

尊敬する人であったり

それが誰であったとしても

相談したいことがあるなら

持っていくモノはただ一つです。

それは

 

「どこでつまずいたか?」

 

の途中経過です。

 

次の一文を読んでみてください。

 

「そこまで一生懸命いろいろ

 やってるのにうまくいかないんだ?」

 

この後に続く感情は

どういう感情でしょう?

 

「一生うまくいかなきゃいいのに!」

でしょうか?

 

「不器用なヤツだな!ダサっ!」

でしょうか?

 

「そのまま地獄に落ちろ!」

でしょうか?

 

それとも

「どうにかうまく行く方法が他にないかな?」

といろいろ応援したくなるでしょうか?

いかがでしょうか?

 

このブログをいつも

読んでくれている人であれば

つい応援したくなると信じています。

 

「これをやりたくて

 こうしてこうして

 こうやったけどダメで、

 仕方が無いから

 こうやってみたんですけど

 それもダメで

 もう一度根気よく今日までずっと

 こうやってみたんですけど

 前にやった時よりダメで・・・。」

 

と、つまずいた箇所までの途中経過を

言われたら

 

「そこまで一生懸命いろいろ

 やってるのにうまくいかないんだ?」

 

という言葉を思わず口にしてしまい

その後はどういう形が良いかは別にして

何かしら応援したくなりませんか?

 

一方で

 

「こういうイベントを

 企画したいと思いまして

 これくらい集客したいと

 思ってるのですが

 どうしたらいいですか?」

 

このようなタイプの相談を

よく受けます。

 

僕はこの手の相談を受けると

いつも

 

「『思ってる』・・・・って

 ひょっとしてまだ頭の中の話?

 『どうしたらいいですか?』

 って誰も邪魔しないと思うから

 とりあえず自分がやりたいように

 やってみたら?」

 

と思います。

 

イベントをしたいのか

企画をしたいのか

集客をしたいのか

それをすることによって

何をどうしたいのかも

わからないのですが

いずれにしても

「したい」のは本人であり

僕ではありません。

 

したいようにやればいいと思うのです。

 

したいことをしてもいないのに

僕にその方法論を丸投げするなんて

もったいないと思うのです。

 

僕がやっても

うまくいかないかもしれません。

うまくいくかもしれません。

 

どういう結果になったとしても

それは僕がやったのであり

僕の人生の中にひとつ

充実感が増えるだけです。

 

本人が得られるものは

当初の予定より大幅に少ないです。

もしかしたら皆無かもしれません。

 

「僕の人生を豊かにしてくれてありがとう!」

 

で終わりです。

 

これはその人にとって

「残念」と思わざるを得ません。

条件反射の否定と肯定は同じ罪

こんにちは

岡田です。

 

あれもダメこれもダメ

いいから言われた事だけを

やっていればいいんだよ!

 

こんな人が自分の上司だったら

どう思いますか?

 

常に自分を否定され続け

窮屈で肩身が狭く、何より

仕事のやり甲斐を

見いだせないですよね。

仕事がつまらない。

 

逆の捉え方をすれば

ラクでもあります。

言われた事だけをやれば

いいんですからラクです。

そういう意味では
過保護であるという解釈もできます。

 

いろんな感情があると思いますが

いずれにしてもその人の未来に

希望が見いだせる感じは

しないですよね。

 

こういう上司のもとで

犠牲になった人は心が病み、

対人関係におびえ

ひどい場合ですと鬱状態に陥ります。

そういう人たちにとって

希望となるのが

 

「いいねー!いいじゃん!

 そのままでいいんだよ!

 そこにいてくれるだけで

 君には価値がある。」

 

そんな言葉を投げかけてくれる

仲間です。

 

人はこの世に生まれて来て

くれただけでも本当に本当に

大いに価値があると思います。

逆に人間的な価値のない

人なんていないと思います。

 

存在自体が許されない人なんて

この世に誰もいない。

 

わかりやすいのが赤ちゃんです。

 

その場にいてくれるだけで

どれだけの生き甲斐や

癒しや安らぎや希望を

周囲にふりまいてくれるか。

 

しかし

ふと現実に戻ると

「経済的な価値」は

ほとんどの場合

残念ながらそこには含まれないです。

 

ビジネスという分野において

僕が知る限りの話で恐縮ですが

ただそこにいるだけで

お金をもらえる人を見た事がありません。

 

特に大人。

 

厳しい言い方をすれば

ただ存在するだけでは無価値です。

 

誤解されないように

一応繰り返しますが

ビジネスという分野においてです。

 

僕らは五体満足でいられる以上は

お金というものを抜きにして

生きていくことは

今の日本においては

ほぼ不可能なのでは?と

思っています。

 

この話を別の場所でした時に

 

「守衛さんとか企業の受付の人は

 ただそこにいるだけで

 お金もらってる職業じゃないの?」

 

と質問されたことがあります。

 

守衛さんや受付の人に

そのまま質問してみてください。

たぶん怒られます(笑)

 

ただそこにいるだけ・・・

そんなわけないでしょう。

 

話が脱線しそうなので戻しますが

ビジネスという分野において

ただそこにいるだけで価値がある、

つまりお金が発生する職業を

僕は知りません。

もちろんその方法も

思いつきません。

 

必ず何かしらの価値が

付随していなければ

経済活動は起こらないのです。

 

「そこにいるだけ」では

価値が発生しにくいのは

わかりやすい例ですが

 

たとえ何かしらの行動を

起こしたとしても

その行動自体が誰からも

価値を認められなければ

残念ながらそれは

ビジネスという経済活動の

分野おいては無価値と

判断された結果なのです。

 

今の世の中、

心が病んでる人が多いせいか

人に癒しを投げかける言葉を

口癖のように言いたがる集団がいます。

 

【いいね教】の人たち。

 

何をしようが

どんな結果になろうが

 

「いいねー!いいねー!」

「いいじゃん!」

 

と言って相手をほめたたえ

その人を気持ちよくさせます。

 

僕は人間的には

素晴らしいと思いますし

実際その言葉を投げかけられると

僕自身もついつい

笑顔になってしまいます。

 

心が病んでいる人に対しは

その方法がより有効である事も

知っています。

 

しかし・・・

どうなんでしょう?

 

ビジネスの分野において

何でもかんでも

「いいねー!いいねー!」

「いいじゃん!」

と言ってその気にさせるのは

僕はどうしても違和感を

覚えます。

 

何度も何度も言いますが

ビジネスの分野においてですよ。

 

ビジネスの分野において

「君はいるだけでいい」

と言われたらどうなんでしょう?

僕ならバカにされてると

思ってしまいます。


他にも、たとえば

そのまま尽き進めば

崖から落ちて取り返しのつかない事態が

待ちかまえているとわかっているのに

「いいねー!いいねー!」

「いいじゃん!」

と言って行動を促して

その後は知らん顔みたいな

人たちが結構いるなぁと

最近感じています。

無責任に「いいね!」を繰り返し

本人に振り返ったり

反省させないのは

本当にそれでいいのか?

と思います。

 

せめて

なぜいいのか?

その理由くらいは言おうよ!

と思うのです。

 

しかし彼らは

理由などよくわからずに

パブロフの犬のように

条件反射的に

とにかく

「いいね!」

を連呼する毎日。

 

「いいねー!いいねー!」

 

「何がそんなにいいんですか?」

 

「ん?・・・・そういうのもいいねー!」

 

「は?」

 

「いいんだよ!君はそのままで!」

 

「・・・・。」

 

あれもダメこれもダメと

否定し続けるはもちろん

明るい未来が見えませんが、

 

「いいねー!いいねー!」

「いいじゃん!」

「あなたはそのままでいい!」

 

と口癖のように何も考えずに

言い続けるのは

 

「あれもダメこれもダメ」

 

と同じくらい未来が見えません。

 

崖から落ちそうな人に向かって

 

「いいね!いいね!」

「そのままでいいんだよ!」

「人生に無駄な事など何もない!」

 

などと言う事は

僕は口が裂けても言えないです。

 

僕がこの例えを言うと

「それは大袈裟でしょ!」

と言う人がいます。

 

条件反射でいいね!と言う人たちほど

「それは例外でしょ!」

とか

「それは大袈裟でしょ!」

という逃げ方をします。

 

なぜそこは

「いいねー!そうだねー!」

と言ってくれないのか不思議ですが

とにかくそこだけは

否定されます。

 

たしかに

その先に崖があるかどうかは

誰にもわかりません。

崖のように見えているけど

そうでないかもしれません。
安全かもしれません。

 

そういう意味では

そっちに行ってはダメ!

と言う事もできません。

 

ダメ!!とも言えない。

いいね!とも言えない。

 

否定も肯定もできない。

 

じゃぁどうしたらいいのか?

 

すでに何度も言っていますが、

僕は否定するにしても

肯定するにしても

きちんと理由が述べられる人

それを考えている人の言う事なら

耳を傾けてもいいと思います。

 

しかしそれをただ鵜呑みにはしません。

自分で考えて、自分で確かめて

自分で判断します。

 

逆にただ口癖のように何も考えずに

否定したり肯定したりする人には

近づかないです。

 

自分で判断するしかないのです。

自分でそれがいいのかどうかを

自分の足で立って

怒られようが褒められようが

自分で後ろを振り返ったり

少し先を注意深く見据えたりしながら

しっかり一歩一歩

自分の足で確かめながら

手探りしながら

先に進んだり

後戻りしたりするしかない

ということです。

 

そういうベース(根拠)の上であれば

たとえその人が何をやっていても

「いいね!」

と心から言ってあげることが

できると思います。

 

僕が誰かに

「いいね~」

「いいじゃん、いいじゃん!」

という時は本人が意思を持って

根拠を探っている時と心がけています。

情報ビジネスの存在理由

こんにちは

岡田です。

 

人は教育というものを

いつまでも受けたいものだなぁと

最近つくづく感じることが多いです。

 

いい大人がいつまでも教えてもらう、

そんなことしてていいのか?

と思ってしまうことも正直あります。

 

しかし冷静に考えて

まったくわからない状態から

ある日突然頭の中にその知識が

湧いてくることはありえません。

 

きっかけとなる外部刺激がない限りは

その事象に関する造詣が

深まることはないと思うのです。

 

その外部刺激こそが

教育と呼べるものだとすれば

刺激が多ければ多いほど

人生が楽しくなると結論づけていい

と個人的には思います。

 

もちろんそう思わない人も

ある一定の割合でいることも

否めませんから人それぞれです。

 

ただ、刺激というものは

まさに興奮でもあり

良くも悪くも脳や心が揺さぶられる

体験ですから

それをもってしても

人生を楽しめないとしたら

逆にあとは何によって楽しくなれるのか

もしそれ以上のものがあるのであれば

本気で教えて欲しいと思います。

 

もしこの教育とは刺激であるという

仮説が成り立つのであれば

僕は教育が人生を楽しくさせる

大きな要素であるとつくづく

感じてしまった次第でございます。

 

だから僕は大人になった今でも

誰かからの教えを乞いたい願望が

なくならないのです。

 

一度しかない人生を刺激的に

楽しみたい、ただそれだけ。

 

教わるというと何か仰々しいことに

感じる人も中にはいるかもしれませんが

僕が言う教育とは

何かについてちょっと人より詳しい

もしくは先に知ったというだけのことを

後から来るそれを知らない人に伝えてあげる

その程度のライトな感覚です。

 

もしその情報伝達を受け取るのに、

つまり教育を受けるのに

費用が発生するとしたら

そこにはある程度の価値が付随され、

ある一定の品質が担保されさえすればいい。
そしてその品質が保証されれば

そのサービスはまだまだ広がりを見せると

思います。

 

それがビジネスとしての

情報サービスと呼ばれるものに

未だなり得るのです。

 

今、情報がありとあらゆる媒体によって

ほぼ無料化されてきていますが

それでもなぜか情報を通じての

産業が大きなウェイトを占めています。

 

2018年現在においては

YouTuberと呼ばれる人たちが

その波に乗ったことも

現象の一つでしょう。

 

教えを乞うということを

重く考えずに

むしろ人生を楽しむものとして

どんどん体験してもらいたいです。

 

理論抜きにして感覚的にも

知らない事を知るようになる

ということは

エキサイティングなことだと

思いませんか?

 

そしてそれは自分が誰かから教わる

という一方通行だけではなく

自分が誰かを教えることも

刺激を与える事になるだろうし

それによって自分もまた

刺激を受けることにもなると思うのです。

 

そこに品質を保証できれば

ビジネスとしてまだまだ

成り立つ時代は残されていると

確信しています。

 

事実僕もその恩恵を受けている一人です。

人に何かを伝えることで

楽しく仕事をさせてもらっています。

 

もしご自分がある程度の品質を

保証できる情報を発信できるなら

恐れることなくどんどん

教えていきましょう!

 

p.s.

ちなみに僕のビジネスとしての
情報発信の一部はこちらです。

http://okada-koji.com/seminars/cat333/67.html

品質も参加者が証明してくれています。
良かったら確認してみてください。

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