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儲ける脳のつくり方

2015年6月のアーカイブ

勝ち負けにこだわるバカさ

こんにちは。
岡田です。

今日の内容は勘違いする方が
多いと思いますので
もし読まれるなら
ちゃんと最後まで
読んで欲しいです。

最後まで丁寧に読まないなら
ここで読むのを止めて欲しいです。

では・・・

営業の世界は毎日が
数字との闘いです。

数値化されるということは
あからさまに順位が
わかってしまうことです。

つまり勝った負けたの世界が
否が応でもできあがってしまいます。

僕たちは勝負の世界にいると
気づかないうちに
自分を傷つけていることが
あります。

「隣人と闘っても意味がない。
 そんなことで自分を傷つけても
 しかたがない。

 より大切なことは
 隣人と闘うのではなく
 昨日の自分と闘うこと、
 そっちの方がより大切です。」

どなたが言ったかわかりませんが
この言葉を聞いたときは
確かにその通りだと思いました。

世の中、上には上がいるし
そんな人と張り合って
自分を卑下して
自らを傷つけ続けるより
昨日の自分を乗り越えることで
昨日よりも今日、
今日よりも明日・・・と
自分なりに成長することが
大切なのだと。

しかしその考え方も
最近行き過ぎた感が否めません。

果たして自分に打ち勝って
いるのだろうか?

昨日よりも今日、
今日よりも明日
今より前の自分に
勝っているかどうか、

それは自分以外は
誰にも判断できません。

自分にとって都合のいい
ぬるま湯につかっていても
ラクに生きる事はできても
どこまでもエキサイトな
人生にはならない気がします。

いやいや、
エキサイトな人生なんて
のぞんでないよ。

そう思う人もいるかもしれません。
僕もどちらかというと
そんなにのぞんでいませんでした。

しかし、

しかしです。

本当にのぞんでないかなぁ?

そう自問してみてください。

恐らく本当の気持ちは
たとえ小さい感情でも
自分の中に存在すると思います。

その本当の気持ちを
大切にしてみてください。

僕は・・・

隣人と比べて勝った、
友達に負けた、
同僚に勝った、
親父にはまだまだかなわない、

そんな勝ち負けがあってもいい
と素直に思いました。

もちろん「それだけ」では
さすがに息苦しく辛い人生ですが
それを否定して生きるのも
エキサイトではないと思う、

そういうことです。

誰かと勝負をするということは

時に人より抜きん出て
もしかしたら誰かに
劣等感を覚えさせることに
なるかもしれない。

時に人より劣り
自分を傷つけることに
なるかもしれない。

だからこそ
その周囲の人たちは
一緒に喜んだり
哀れみの目で見たり
同情したりしてくれます。

勝負があるからこそ
エキサイトな空間を創り出し
さらに自分を高めるための
エネルギー源になったりします。

他人との比較、とりわけ
勝ち負けにこだわるなんて
愚かかもしれません。

だからと言って

勝ち負けが完全になくなれば
そんな人生は

全員が手をつないて
みんな一頭賞!
そんな運動会と同じ。

面白いですかね?
その運動会。
どこで盛り上がるのでしょう?

オリンピックにしても
ゲームにしても
何かのコンテストにしても
学校や仕事の成績にしても

先人たちは何かと順位を
つけたがってきました。

本当に自分以外の人との勝負が
人類にとって必要ないなら
もっと大昔にそれらは
なくなっていた気がします。

勝負事がもし「悪」であるなら
競争をしてはいけない
法整備がなされていても
いいような気がします。

世界的にそれがなくならないなら
他人と勝負することは
人類が生きる上で必要な要素として
敢えて残されているのかも。

それに

「他人との勝ち負けに
 こだわるなんて愚かだ!
 昨日の自分に勝つことの方が
 より大切なことである」

この主張を強く掲げている人ほど
他人との勝負にこだわっている
ことに気づいてしまいました。

なぜなら

この相反する意見の相違を
シンプルに言えば

その愚かな意見より
自分の意見の方が
価値としては上だ!

と言ってるんですから。

これを
「他人との勝負」
と言わずして
なんと言うのでしょう?

さきほど、

「バカ」という言葉を
辞書で調べてみましたところ
「社会的常識を逸脱した行為」
とありました。

僕たちは勝負に真剣になることで
自分を傷つけるかもしれないし
人を傷つけるかもしれません。

そんな可能性を秘めた

「勝負事」とは

社会的常識からは
逸脱した行為なのかもしれません。

「そもそもその勝負に勝って
 なんの意味があるの?」

と冷静に問われれば
意外と何もない場合が多いです。

勝者がいるということは
必ず敗者がいる、
つまり勝負の度に誰かが傷つく。

いつも誰かが傷ついている・・・。

それなのに勝負が必要と
言ってる事自体
バカなことかもしれません。

でもその社会的常識を
逸脱した行為

つまりバカであるからこそ
エキサイトな人生が
待っている気がします。

社会的常識の枠の中で
こじんまりと生きることは
少なくともエキサイトな人生を送る
という意味では
「負け」のような気がします(笑)。

セミナー集客のコツ

こんにちは
岡田です。

最近、次の相談というか質問が
また増えてきました。

それは

「いつもセミナーやイベントで
 人を集めてますよね?
 どうやったら人を集められますか?」

というものです。

僕は1ヶ月に2~3回
数十人を集めているだけです。
その程度であっても
このような質問をたくさん
いただきます。

数千人、数万人集めることを
仕事にされている方にとっては
きっと

「おままごとみたいだな。」

と思われているに違いない
と感じながらも僭越ながら
質問してくれる人に感謝をこめて
お答えしたいと思います。

今日の話はもしかしたら
期待を裏切る内容に
なるかもしれません。

ただ、今日の内容を
理解できた人は
恐らく人を集める事で
今後、悩むことは
なくなると思います。

理解できずに、

「何を理想的なことだけで
 ごまかしてるんだ?」

と思う人は残念ながら
これから人を集めるのが
さらにしんどくなる時代に
突入することでしょう。

さて、

改めて確信したことがあります。

それはエネルギーが
高い所に人が集まる
ということです。

パワースポットと呼ばれる
神社などに人が集まる様に
見えない何かに引き寄せられて
人が集まります。

たとえば

先日、東京に住む友人から
突然電話がかかってきて

「今名古屋にいて、帰りに
 静岡で途中下車するから
 飯でも一緒に食べよう!」

という内容でした。

聞けば、サザンオールスターズの
ライブに行って来たとのこと。

サザンが発するエネルギーの
高さは今更説明するまでもなく
何万人もの人を引き寄せます。

そして大事なことは
サザンのメンバーだけでなく
その集まったお客さん数万人も
エネルギーが高いということです。

普段はクールな彼でしたが
その日は妙に口数が多かったのが
印象的でした。

別の例をば。

この手の話になると
必ず挙げられるのが
ディズニーランドです。

今回もありきたりと思いながらも
わかりやすいので
使わせていただきます。

ディズニーランドが
発するエネルギーも
言うまでもなく桁違いに高く
だから毎日でも人が
数万人も集まるのだと思います。

そしてその集まった数万人も
エネルギーが高いのは
ディズニーランドに
行ったことがある人なら
わかると思います。

僕の様に人混みが大嫌いで
普段は

「できることなら行きたくない」

と思っている人でさえ
いざ行ってしまえば
あろうことか

「どれから乗る?」

と口走ってたりするのです。
決して

「混み過ぎ!今すぐ帰ろう!」

とは言いません。

そして帰りの車の中でも
普段聴かないディズニー音楽を聴き
エレクトリカルパレードの
余韻を楽しんでたりします。

すでにディズニーランドから
数十キロ離れた場所にいるにも
かかわらず。

ディズニーランドの中にいる
時だけではなく、
そのエネルギーがどこまでも波及し、
場所だけでなく時間をも超えて
また行きたくさせるのです。

わかりやすいように
サザンやディズニーランドの
話をしましたが
これは身近のところでも
言えると思います。

何万人規模ではなく、たとえ
数人、数十人の話であっても
それは同じ事が言えると思うのです。

お店に人が来ない、
イベントに人が集まらない、
セミナーに人が集まらない、

僕らは数万人規模のイベントを
毎日やる必要があるのでしょうか?

その必要があるとしたら
ディズニーランドと
同等レベルのエネルギーを
発しないといけないと思いますが、

たとえば1ヶ月に1度
セミナーに数十人程度集めたい
というレベルであれば
ディズニーランドの
数千分の1、いや数万分の1の
エネルギーでいいと思うのです。

エネルギーとはなにも
「ハイテンションになれ!」
という意味ではありません。

もちろんそれでもいいですが。

ここで言うエネルギーとは
いろいろと当てはめることが
できるので一概に「これ!」
とは決めつけられませんが

たとえば

準備だったり
真剣さだったり
思いやりだったり
マナーだっだり
行動量だったり
内容のクオリティだったり

そのエネルギーの高さが
人を集めてくれると思うのです。

Facebookが人を集めやすいとか
何か特典をつけるとか

そういうことも確かに
人を集める上で
効果的だと思いますが
先人が昔から教えてくれる
大切なことを丁寧にやれば
人は集まってくれると思うのです。

おかげさまで僕のセミナーに
毎月参加してくださる方は
エネルギーがとてもとても高いです。

何も懇親会でハイテンションで
バカ騒ぎをしまくっているという
ことではありません。

もちろん懇親会は楽しいですよ。
笑いも絶えません。
でも、そういうことだけを
言っているのではないんです。

クオリティが高く
志も高く
エネルギーが高いのを
身体で感じ取れるのです。

だから僕は自分が主催する
セミナーでは
身体は疲れても
精神的には疲れません。

懇親会もたいてい最後までいます。
疲れて早く帰りたいどころか、
そこにいつまでも居たいのです。

僕がしていることは単純です。
来てくださる方が
毎回、来て良かったと
思ってもらえるような
内容を丁寧に作り上げ
お一人お一人の顔を浮かべながら
準備を進めていることです。

一度でも参加された事がある方なら
僕がお一人お一人の顔を
浮かべなければならない
準備や作業があることを
ご理解いただけていると思います。

そういう内容なんです。

いつも会場で手伝ってくれる
スタッフさんもいるのですが
準備に関しては
その人たちには任せずに
面倒でも僕がやらなければならない部分
いや、僕がやりたい部分は
エネルギーを高めて臨むように
しています。

今日の話は
もしかしたらわかりづらい
内容だったかもしれません。

今すぐこれをやったら
結果が出るという内容では
ないかもしれません。

ただ、いろいろやってみて
必ずここに戻ってくる部分、
そんな遠い道のりのようで
近道をお伝えしました。

p.s.
セミナーはここでやってます。
興味ある方はぜひ。

https://www.facebook.com/events/1004695816243547/

簡単にできること

こんにちは
岡田です。

昨日は誕生日で本当に
たくさんの方から
コメントやメッセージ
お祝いをしていただきました。

ありがとうございました。

お祝いの余韻はほどほどにして
本題に入りたいと思います。

人間の身体というのは
一度にできることに
限界があると思います。

たとえば

包丁で食パンを切りながら
ピアノをひきながら
セーターを編むことは
できないと思います。

たった3つのことすら
一度にはできません。
2つでもかなり難しいです。

それ、やる意味ある?
という冷静なツッコミは
ここでは置いといて。。。

とにかくできることと
できないことがある
ということを前提に
話を進めます。

では1つだけならどうか?

当然できる可能性は
ぐっと広がります。

包丁で切る事
楽器で音を出す事
毛糸を編む事

さらにその1つ1つの
瞬間の動作については
大人であればほぼ
できると思います。

ピアノは鍵盤をたたけば
赤ちゃんでも音は出せます。

かまぼこくらいなら
幼稚園児でも包丁で
切ることはできます。

編み物もただひたすら
ロープのようなものを
作るだけなら
小学生でもできるかと。

さらにその動作の瞬間瞬間を
超超超超超細分化していくと
そのほとんどが
「●●しているだけ」
です。

楽器なら叩くだけ。
吹くだけ。
弾くだけ。
包丁なら前後に動かしてるだけ。
編み物なら編み針に
毛糸をかけてるだけです。

でも当然それだけではありません。

楽器ならメロディーを
奏でるために
吹きながら指を動かしたり
包丁なら利き手以外の動作に
緻密な何かを求められます。

さらに言えば姿勢だったり
構えだったり
呼吸だったり
精神状態だったり

いろんな要素が重なりあって
1つの技になっていく。

それが美しい音色になり
その美しい音色の連続が
曲を奏でることになります。

ではその技とは
誰でも簡単にできることでしょうか?

そしてその技の集合体によって
できあがった「作品」は
誰でも同じ様に作る事は
できるのでしょうか?

僕は台所には滅多に立ちません。
さすがにかまぼこくらいは
切れると思いますが
「やわらかい食パンを切れ!」
と言われたらおそらく
ボロボロになるかと。

つまり僕がサンドイッチを
作ろうと思うと
別の料理になります。
いや、料理にすらならずに
何かのエサと化すでしょう。

だから僕にとっては
サンドイッチは
お金を出すに値するものです。

僕が編み物をしたら
毛糸がからまった物体になります。

だからセーターを買うのに
お金を払います。

僕がバイオリンを弾いたら
間違いなく雑音になります。

だから僕はクラシックの
コンサートはお金を出すに
十分値するものなのです。

何を当たり前のことを?
と思うかもしれません。

ここで最近のあるあるネタです。

○○するだけで月収50万円
スマホ1台あれば誰でも●○できます
××するだけで10キロ痩せます

恐らく1日1回はこの手の
ものに目を触れることは
あると思います。

しかしその境地にいたるまで
相当複雑な何かをしなければ
うたい文句にある理想の未来は
手に入れることは
できないと思います。

複雑な何か、
たとえば練習とか考え方とか
試行錯誤とか
それ、つまり技のようなものが
できるようになって
はじめて理想の未来を
手に入れることが
できるのです。

その技を「後から」冷静に
細分化したものが
「●●しているだけ」
なのです。

そこだけ切り取って
「●●だけで○○が手に入ります」
と言われたらどうでしょう?

確かに日本語としては
間違ってないかもしれません。

しかし

次の日本語を聞けば
それを真に受ける大人は
いないでしょうし、
それが「●●だけ」でできるように
なるとは思えないでしょうし

さらに

その方法を知るのに
お金を払う人は
殆どいないでしょう。

「あなたがピアノの鍵盤を
 ただくだけで
 集まった1000人の人を
 感動させて数百万円
 手に入れる方法があるのですが
 知りたくありませんか?」

これをやっている人は
もちろんいます。
それはプロの中でも一握りです。
それができるようになるまでに
何年、いや何十年も
苦しい期間が必要なのかは
教えてもらわなくても
想像ができます。

「●●だけ」で数百万円
手に入れられないことくらい
言われるまでもなく
わかることです。

しかし

「あなたが家にいながら、
 スマホで映像をアップするだけで
 数万人の人を感動させ
 月収100万円を手に入れる
 方法があるのですが
 知りたくありませんか?」

と言われるとなぜか

「そんなおいしい話があるなら
 ぜひ聞きたい!」

と言って片足を突っ込みます。

日本語的には嘘ではないので
後から簡単でないことがわかると
その片足を元に戻すか
両足で歩き始めたものの
本当にしたいことでは
なかったことに気がつき
結局両足を使って
後戻りします。

ピアノの鍵盤をたたくだけで
1000人もの人を感動させられる
のはそれを本当にしたかった人が
地に足をつけて両足で
何百万歩も歩き続けた人だけが
つかむ事ができる夢なのです。

ピアノの鍵盤をたたくのも
包丁を上下前後に動かすことも
スマホで映像をアップするのも
人によっては大きな価値があるし
人によっては全く無意味な
動作です。

人によっては無意味な動作を
世界中の誰に何を言われようが
その本人が本当にしたいかどうかです。

もしくはたとえ
したくなくても
やり続けられる覚悟が
あるかどうかです。

それがないのに
「●●だけで」
の部分に反応して
いろいろ手を出し、
お客さんを巻き込むのは
僕は少なくともできません。

僕の考えが時代遅れで
甘いのかもしれません。

というかそもそもそこに
誰がお金を払うのか僕には謎です。

僕が弦をひいただけの
バイオリンの音に
誰が感動するのでしょう?
誰がお金を払うのでしょう?

興味本位で友人が
一度くらいはお金を払って
くれるかもしれませんが
自分が生き続けられるくらい
お金を払い続けてくれる人が
いるとは思えません。

もしそれを望むなら
「●●だけで」
はムリなことくらいは
言わずもがな、です。

まぁいろいろやってみるのは
人生の「体験」としては
価値のかることなのかも
しれません。

「●●するだけで」でも
体験だけならできますから。

誰でも簡単にできることが
未来永劫、価値が下がらず
職業として価値があり続ける
ことがもし可能なのであれば
それもアリなのかもしれません。

僕は未来永劫どころか
3年ももたないのが
今の世の中だと思います。

そして

これからもっともっと
その価値が下がる速度は
加速する気がします。

コピーライターたちの個性

こんにちは。
岡田です。

Facebookで最近たくさん
友達申請をもらいます。

嬉しい限りです、
とも言い切れないんです。

いただく友達申請の多くは
メッセージがないんです。

もしかしたらどこかで
お会いしているかもしれない
とか色々と気にはなるので
一応は確かめに行きます。

で、その人のプロフィールを
見ると背景画像にたいてい
「友達○○○○人プロジェクト」
といった内容が書かれています。

職業はたいていコピーライター。

一人や二人ではないんです。

この
「友達○○○○人プロジェクト」
と書いてある人から
何人申請もらったか
もう数えきれないくらい。

大げさではなく数十人単位で
友達申請をいただきました。

流行ってるんですかね?

タイムラインを拝見すると
書いてある内容は
とても素晴らしく
読めば読むほど・・・

違和感を感じます^^;

「他人を思いやる」
「相手の心を汲み取る」
「他人を喜ばせる」
「まずは自分が与える」

おおよそ、その手の内容が
書かれています。

そうだよなぁ。
そうだよなぁ。

と思いながらも、
何も心に響かないのは
なぜだろう?

と思ったり思わなかったり。

ひょっとして・・・
僕の心の中に
相手を思いやる気持ちが
少ないからか?

まずはそんなちっぽけな
自分と向き合います。

あー、俺って
人を思いやる気持ちが
無いんだー。
俺はなんて悪い奴なんだー!
いかんいかん!!

と落ち込みます。

ごめんなさい。
嘘です。

落ち込みはしません。

ただ、なんだかモヤモヤした
気持ちに襲われることは確かです。

さらに読み込むとその殆どに

「人の気持ちを察しないと
 売れるようにはなりません。」

「コピーライティングとは・・・」

などなど、
そんな内容が書かれています。
どのタイムラインにも。

不思議な現象なのですが

これ、誰か一人が書いて
それをみんなで写してるんですかね?

と思いたいくらい
みんな同じ事が書かれています。

ひょっとしてアカウントが
違うだけで同じ人がやってる?

そう思いたくなる。
みんな同じ。。。

どういう人がこの人の友達になって
どういう人がどういうコメントを
寄せるんだろう?
とコメント欄を拝見すると

「勉強になります!」
「文章がとても惹き込まれます。」
「私も●●さんのようになりたいです。」

みたいなことが書かれています。

ほ、ほー^^
今はこういうことを書く人が
尊敬の的になるのか・・・

と思って、今度はそのコメントを
書いた人の所にいくと
やっぱり同じように

「友達○○○○人プロジェクト」

と書いてあり、
さらにタイムラインに
書かれていることは

「他人を思いやる」
「相手の心を汲み取る」
「他人を喜ばせる」
「まずは自分が与える」

そして

「人の気持ちを察しないと
 売れるようにはなりません。」

「コピーライティングとは・・・」

と書かれています。

それに寄せられているコメントが

「勉強になります!」
「文章がとても惹き込まれます。」
「私も●●さんのようになりたいです。」

うーん。

やっぱり一人の人が
自作自演してる?

ってかコピーライティング
ってまさにコピー(複写)?
と我ながらくだらない
ツッコミをしてしまいたいくらい^^;

そうそう。
「複写」で思い出しましたが
これも皆、申し合わせたように
同じことが書いてあるのですが、

「コピーライティングはTTPだ!
 TPPではありません。
 TTP、つまり
 徹底的にパクれ
 の略です。

 まずは徹底的にパクることから
 始めましょう!
 守破離の原則で最初は
 徹底的に真似をすればいいんですよ!」

と。。。

なるほど。
徹底的にパクってるから
みんなが同じことを書いているのか。
これをそのまま実践してるのなら
筋が通ってるな。

と思いきや・・・
同じ人の投稿に

「これからはオンリーワンの時代です。
 USP(ユニークセリングプロポジション)
 つまりユニーク、独自性がなければ
 なりません。
 USPがなければお客様は
 あなたを選ぶ理由がないんです。」

と。。。。。

え?
どっち?
パクるの?
ユニークさを出すの?

さて・・・僕が思うに

本当に相手のことを
思いやる気持ちがあるなら
これらの動きはそれと逆行してる
気がするんですよね。

少なくとも
相手の気持ちを汲み取れる人は
ベクトルが自分自身に向いてる
「友達○○○○人プロジェクト」
などという背景画像に
何の意味があるのか
ちゃんと汲み取れる人だと
信じたいです。

友達○○○○人作るのは
誰のために
何のために
やってるのか?

どう解釈しても
読者や相手のためとは
思えないんですよね。

誰か成功した人のやってることを
そのままパクリ、
自分で考えることを放棄したら
人の心を汲めるようになること
とは対極に向かうことくらい
考えて欲しいです。

考えてないからムリでしょ。
というごもっともなツッコミは
酒の場ですることにして
今は前向きに。

話を戻します。

この
友達○○○○人プロジェクト
という手段に執着している人は

メッセージもなく
友達申請された相手のことなんて
どうでもいいにおいが
ぷんぷんしてきます。

これが逆に

「俺は他人のことなんて気にしない。
 人の迷惑なんてどうでもいい!
 誰がどう思おうが
 友達○○○○人作るんだ!
 いちいちメッセージなんて
 送ってられない。
 だから黙って友達承認して!!」

って背景画像などに
書いてあるなら

おー、他人の迷惑かえり見ず
自己中心的なやつだけど
これなら筋が通っている。

今の時代にこれをやるのは
どうかな、と思いながらも
面白い要素がないこともない、

とも思います。

それでもやっぱり僕は
友達承認はしないかな^^;

いや、一人だけなら承認しちゃうかも。

これ、また何十人もやられたら
げんなりしちゃいますね。

また同じ人?
って思っちゃいます。

ユニークさが無い。

自分で考えられないなら
最初は徹底的にパクるのは
悪いとは思いません。

徹底的にパクるのはいいですけど
だったらせめてパクリ元くらいは
言って欲しいものです。

みんなそれぞれが
オリジナルの体を成しながら・・・

ユニークさ
オリジナルさ

を演じながら
まったく「同じ」だと


壮大なギャグ

にしか思えないです。

そんな人たちが
数千人の輪になって
何をしたいのかよくわかりませんが
ギャグをしたいなら
僕はそのギャグには
残念ながら付き合わないです。

同じ事をするなら
「誰々と同じだ」
と言えばいい。

まさに守破離の守です。

それを背伸びして
まるでオリジナルのように
自信満々に上から言い放つから
見透かされちゃうんです。

逆に本当に違うなら
自信をもって
オリジナルなことを
ユニーク性をもって
突き進めばいい。

その結果、誰かと
たまたま同じであったとしても
それは誰が見ても
オリジナルがたまたま
結果として同じになっただけ
だとわかります。

感じ取れると言った方が
いいかもしれません。

残念ながら自称コピーライターと
叫んでいる人たちの多くには
それらを全く感じ取れません。

コピーライターなのに
キャッチーではない。
USPもない。

僕と近しい人なら前々から
僕がパクリに対して嫌悪感を
持っている事は知っていると思います。

誤解ないように
丁寧に繰り返しますが
まねすること自体は悪くないと
思います。

でも徹底的にパクって
そのままアウトプットするのではなく
どうせパクるなら、
骨組みや仕組みをまねして
肉付けをオリジナルに
すればいいと思います。

徹底的に自分のものにして
そしてできうる限りの体験をして
自分で考えて考えて考え抜いて
それをアウトプットしなければ
心に響くことはない気がします。

どうしてもそれができないなら
せめて出典元は言わないと
オリジナルと思われないどころか
恥ずかしいだけです。

たとえばこの曲を
https://www.youtube.com/watch?v=x9mHm7jZQHs
したり顔で
「オリジナルですよ~。」
と言い張るのがカッコいいか、
オマージュ作品として
世に出すのが良いのか。

どっちが長い目で見て
成功するかは
特殊な能力を持たなくても
感じ取れる何かがあると思います。


いずれにしても友達を
たくさん作りたいなら
それぞれの個性を
活かした人たちが
つながるといいなぁ
と思ったのでありました。

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