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儲ける脳のつくり方

2016年4月のアーカイブ

営業が嫌い

こんにちは
岡田です。

前回のブログの内容は
予想とは裏腹に好評だったようです。
もっと叩かれると思ってました。



シェアまでしてくれた人が
たくさんいて本当に感謝です。

さて

今日はいつもに戻って
ビジネスのことについて
お話したいと思います。

今さら改めて言うような
ことでもないのですが、
ビジネスにおいて
営業活動は必須です。

営業活動というと
どうしてもイヤな仕事
という世界観がいまだに
拭いきれない世の中です。

もちろんそう思わない人も
たくさんいると思いますが
まだまだ圧倒的に少数派です。

少数派である理由は
やはり営業は
「売り込まなければならない」
という概念が拭いきれていない
からだと思われます。

誤解を恐れずに言えば
「売り込む」こと自体は
特段悪い事ではありません。

世の中全ての商品は
なんらかの形で
売り込まれています。
それで経済が動いています。

何も営業マンだけが
売り込んでいるわけでは
ありません。

CMや広告、チラシ、看板
企業のホームページ、
これらはすべて最終的には
商品を売り込むために
存在しています。

恐らく営業に対して
嫌悪感を抱くとしたら
「売り込む」
という言葉の前に

「しつこく」とか
「不必要なのに」などの
言葉が付いた場合では
ないでしょうか?

なぜか言葉には
ニュアンスと言いますか
勝手に染み付いた
印象があります。

たとえば

「食品添加物」
という文字を見て
どういう印象を持ちますか?

「紫外線」
はどうでしょう?

「チェルノブイリ」は?
「年金」は?

恐らくその言葉が持つ
意味以上の解釈を
勝手に増幅させて
いないですか?

冷静に事実だけを
もう一度考えてみて下さい。

「売ること」
自体は悪くないですよね?

「売る為に人に伝えること」
これも悪くないですよね?

「売り込むこと」
自体は決して悪いことでは
ないのです。

しつこく売り込むから
嫌われるのです。

いらないと言っているのに
売り込むから
嫌われるのです。

その嫌われた状態を自ら
つくらなければならない
と思っているから
営業という職種にだけは
就きたくない、

できることなら
やりたくない

と思っている人が
圧倒的に多いと思うのです。

「しつこく」とか
「不必要なのに」
「売り込む」ことを
「しなければならない」
のであればそりゃ誰だって
イヤですよ。

しかし

その嫌がることをしなければ
僕はこの仕事はとても
素敵なことだと思うのです。

必要としている人に
必要なモノを
知らせてあげるのは
人助けそのものです。

営業活動とは
本来そういう活動です。

その人助けにつながる
「売ること」をどうしても
「やりたくない」
「苦手だ」
という理由がさらに
もう一つあるとしたら

それは

人前で話をしたり
プレゼンすることが苦手だ
ということだと思うのです。

話をする側が苦痛なのは
もちろんのこと
そんな人が話をしたら
聴く側にも迷惑をかけてしまう

そういう気持ちが
先行してあるからでは
ないでしょうか?

最近はセミナー形式にして
興味のある人だけに
話を進める営業活動を
する人が多くなりました。

多勢の前で話をするなんて
もってのほか。

多勢どころか
たった一人の前で
話をすることすら苦手。

ましてやそれが
自分より目上の人だったり
ビジネスで言えば
社長さんだったり
大物だったり。

しかもその話次第で
お金が動くとなると
緊張しないわけがありません。

うまくいくはずがない・・・

それでも営業活動、
プレゼンや交渉をしなければ
ビジネスそのものは
前に進みません。

人知れず商品が
倉庫に眠っていても
意味がありません。

いくらいい商品でも
作り続けたところで
売らなければ
ビジネスは破綻します。

ビジネスを続けるのであれば
営業活動は必須なんです。
苦手だろうがなんだろうが。

過去に広い意味で
営業活動を一切せずに
継続しているビジネスは
一つもありません。

前提としてその事実が
ある以上は
恐れずに営業活動を
やってみましょう。

緊張してうまく話せない、
それによって相手に
迷惑をかけたくない

でも逃げたくはない

でもやっぱり怖い。

そんな葛藤があることも
よくわかります。

しかしその困難を乗り越えてこそ
初めて自分の強みに
変わると思うのです。

人助けとしての
営業活動ができる
と思うのです。

人から喜ばれる仕事が
できるようになると思うのです。

生きていく上で仕事は
した方がいいと思います。

現実問題としても
しなければならないと
思います。

経済的な意味はもちろん
生き甲斐という意味でも。

であるならば
営業という分野で
自分自身をさらに
洗練させてみませんか?

人前で話すこと
多勢の前で話すこと
目上の人にプレゼンすること

どうやったらうまくいくか。

そんなセミナーを
企画しましたので
次のステップに行きたいかたは
ぜひどうぞ!

https://www.facebook.com/events/225726027786734/

営業が苦手という人ほど
ぜひ参加してもらいたいです。

災害時の人間世界

こんにちは
岡田です。

2016年4月14日、
九州地方で発生した地震に
被災された方々へ
心よりお見舞い申し上げます。

今日の内容は
あくまで僕の私見なので
(いつもそうですが・・・)
自由に書かせていただきます。

というわけで
ネット上によくある
【閲覧注意】
でございます。

さて
地震が発生して約1週間。

様々な情報が錯綜し
気持ちが錯乱する中で
やはりというか
毎度おなじみの流れが
できてきました。

まず、

●政治家の対応を批判する動き。
●現地でのメディアの在り方を
批判する動き。
●地震発生のメカニズムを
今説明して何の役に立つのか?
という声。

●救助活動に涙し、
●諸外国の対応に感謝する。

さらに

●不必要な電話は止めよう!
●緊急車両のために車を控えよう!
●節約しよう!

という動き。

●ペットや飼育されていた
動物達がかわいそうという声。

●支援に行こうとする人たちを
焦るな!ちょっと待て!
と止めようとする動き。

●義援金や募金に対して
騙されちゃダメだよ
という動き。

●災害時に役立つ情報を
ネットでシェアする動き。

●救援物資で
これはいる
これはいらない
と言っている人たちの意見が
みんな違うので
結局わからないから
とりあえず送ってしまえ
という動き。

●楽しい系のイベントや
バラエティ番組などを
自粛する動き。

●錯綜している情報に
余計な情報は流すな!
(自分の情報だけは正しい)
という錯綜情報に
さらに加わる動き。

●原発を止めろという動き。

●この地震は人工的に
発生させられた地震である
という陰謀論。

●何年も前からこの地震を
予知していたという予言説。

●このブログのように
客観的な意見として
冷静さを装いながら
実は思いっきり主観的な
情報発信。

他にもまだあるでしょうけど
概ねこんな感じでしょうか?

挙げたものの中には
それってどうなの?
というものもあれば

そうした方がいいかもね!
というものもあります。

この時点ではひとまず
感情は横に置いておいて
善悪を判断せずに
事実として
世の中には上記のような
動きがある(あった)
ということを確認した上で
僕の意見をば。

僕はこの地震が発生してから
何が僕の頭の中を
占領していたか・・・を
思い返してみました。

やはり何と言っても
被害に合われた方が
一人でも多く
無事でいること、

そして被害が一刻も早く
収束に向かって欲しい

そういったことでした。

この想いが頭の中の
大部分を占めていたことは
僕の中ではある意味
ホッとしたことなのですが

それは僕がホッとしただけであり
僕がどう思ったところで
現実は何も変わらないだろうな
と冷めた目で見る事もできます。

恐らくですが

被害に合われた方が
一人でも多く無事でいて欲しい
という願いは
何も僕に限った
ことではなくて
ほとんどの人が
そう思うのでないかと。

まったくそう思わない人も
いるとは思いますが
大多数がそうであると
とりあえず信じておきます。

多くの人が同じ想いでありながら
いろんな意見や手段が錯綜する。

もうこれは避けられないというか
行き着く所は
人間はそういう生き物で
あるのではないか
ということです。

であるならば
何が正しいとかではなく
やりたいようにやればいい

いや、すでに人はそれぞれ
やりたいようにやってる
その現実があるだけ

それを否定したり
受け入れないように
いくらしたところで

その動きは止められない
のではないだろうか?


という考えに行き着きました。

その先には
決して無理をせず、
自分がやれることを
やれるだけやればいい
というような言葉が
僕の中では改めてしっくり
きたりするのです。

僕は阪神大震災の時も
東日本大震災の時も
被災地へ行って
救援物資の仕分けのような
ことをしたのですが

送られてくるものの中に
寒い時期にもかかわらず
水着や柔道着が
入っていたりするのです。

嘘のような本当の話です。

これは僕の主観では
嫌がらせにしか
思えないのです。

しかしそれらを送った人は
もしかしたら
家を失くした子供たちが
学校で使うものに
少しでもお金がかからないように
という気持ちを添えて
送ってくれたのかもしれません。

その考えの延長線上で言えば
応援の寄せ書きや
千羽鶴のようなものも
同じ誤解を生みやすい
ものかもしれません。

食料が足りてない人にとっては
これ以上に役に立たないものは
ありません。

想いや祈りはいらん!
お金もいらん!
今は食べ物をくれ!
と。

しかし、被災者の中には
一つのおにぎりやパンよりも
それらが生きる糧になった
という人もいると思うのです。

ヘリコプターの音がうるさくて
助けを呼ぶ声が聞こえない
という意見がある一方で
空からの救援が
より多くの命を救うし、

メディアの取材でさえも
その動きがあるからこそ
被災していない人たちからの
多くの支援が集まるという
働きがあるのも事実です。

「過度な取材合戦は控えよう!」
というのは一見ごもっともな
意見ですが、過度な取材合戦の
「過度」って誰がどのように
線引きするのでしょう?

僕は阪神大震災の時に
一番最初にした支援活動は
避難所の炊き出しを
しているところで
並んでいる被災者に
パックのジュースを飲む為の
ストローを渡す事でした。

ちなみに隣にいた人は
割り箸を渡す役目でした。

その人と僕は
初対面にもかかわらず
たった30分ほどの間に
2人は何度も同じ言葉を
口にしました。

「俺たち、必要?」

と。

被災者と言っても
何もできない赤ちゃんとは
違います。

ストローや割り箸なんて
置いておけば
勝手にとるでしょう。

僕はその日の夜、
明日の朝一で帰ろう!
と決意しました。

こんなボランティア、
まったく意味がない!

よく見ると僕だけでなく
意味のなさそうな仕事をしている
人がたくさんいました。

当時暫定的にできていた
ボランティアの受付の
担当の人に
怒り狂って文句を
言ってる人もいました。

「俺たちはこんなことをしに
 わざわざ来たのではない!」

と。

僕はさすがに文句を言うのは
筋違いと思いましたが

たしかに僕自身がここにいても
何の意味もないという気持ちが
芽生えていました。

しかし
翌日になって反省しました。

なぜなら
目の前で困っている人が多勢いる
その現実は
ストローとは関係なく
何も変わらず
今もまだそこにある
と気づいたからです。

災害支援活動というのは
自分たちでできることを
見つけてどんどん片付けないと
何も進みません。

それが正しいかどうかなんて
どうでもいいことかもしれません。
きっと誰にもその答えは
出せないでしょう。

指示なんて待ってられない。

余計な事をして怒られる事と
邪魔をせずに何もしないでいること、

この2つの選択肢があるなら
僕は前者を選んで自分が
怒られればいいだけと
判断しました。

ストローを手渡しすることは
最後まで意味を見出すことが
できませんでしたが
その意味がないと思った行為を
したからこそ初めて
自分から何かをしなければ・・・
という気持ちになったのも
事実です。

また、
被災地で体験したことで
困った事がありました。

大量の食料が届いたのは
いいことなのですが
結局食べきれずに
何日後かには腐り始めたので
廃棄したのです。

そして
ボランティアが大量の食料を
捨てている場面を
たまたまテレビが取材して
しまったのです。

被災地ではこんなに食料が
余っていると。

その後食料が入ってくるのが
極端に少なくなりました。

僕は思いました。

被災地で捨てなくても
日本のどこかで毎日
何万トンもの食料を
捨ててるじゃないか。

それを被災地で捨てるのと
何が違うんだ?

むしろ被災地で捨てるくらいの方が
食料は十分送られてきてるから
安心してください!
という風にはならないのだろうか?

と。

しかし一方では
捨てるくらいなら
他の被災地へ届けるのが
当然でしょう!
という声もあります。

災害が起こらなくても
この流通の効率化、最適化は
とても難しい問題です。

ましてや
災害時にインフラも
何も整ってない状況で
ピンポイントで
必要な量だけを
必要なタイミングで
届けるなんて
もはや神のみぞ成せる技です。

いろんな想いで
いろんな意見が
衝突する中で
やはりここでも
自分ができることを
自分がやればいい

そしてそれを邪魔する人が
いたとしても
恨んでも仕方がない
ということです。

被災地に行かなくても
地元でイベントなどを
自粛する動きもそうです。

被災された人たちのために
何かチャリティイベントを
するのはいいのですが、

それとは全く関係ない
自分がしたいイベントをする、

募金活動なども伴わずに
ただどんちゃん騒ぎをする

そんなイベント行為を

「けしからん」

と言った空気が
流れることもあります。

募金活動をしたり
売上げの一部を義援金に回す
というのはわかりやすいので
賞讃されやすいのですが

ただ単にイベントをする
となるとどうも主催者を
非国民のような扱いを
したがる人がいることも事実です。

たとえ売上げの一部が
義援金に回らなくても
そこでいろんな経済活動が
なされれば税金という形で
日本の国力の足しになります。

日本の国力が強ければ強いほど
被災地復旧の活動資金が
潤沢になるでしょう。

そう思えば売上げの一部を
義援金に回さなくても
やっている活動そのものに
意味は大いにあります。

募金だけがお金の
使い道ではありません。
売上げの一部を義援金に
回す商品だけを
買う必要はありません。

こんな時だからこそ
買い物そのものを自粛せずに
自分の好きなものを
好きなだけ買えばいい
と思うのです。

それが巡り巡って
日本の国力の一部に
なっているのですから。

それを自粛するなんて
もったいないと
思ったりもしつつ

そう思うのはあくまで
僕の価値観であって

自粛する方には
何か思うところが
あって自粛するのでしょう。

自粛したい人たちに
自粛せずに元気にイベントを
やるべきだ!と
強要するのもおかしな話です。

繰り返しになりますが
誰も悪くないし
誰もが被災者の無事を願い
復興を願っていると思うのです。

そのための手段が
一度にあまりに多く
存在するために
自分の考えが一番正しいと
こうすべき
あーすべき
と「べき論」を言います。

付け加えれば
僕は「べき論」も
どんどん言っていいと
思います。

しかしそれを他人に
押し付けた所で
人は変わらないことも
いつか気づくでしょう。

「人を変える」
という目的では
「べき」論は
言うだけムダの
ような気もします。

現にいろんな情報が
錯綜しているのも事実だし、

誰もが一番正しいであろう
価値観をもってしても
人々を統一させることなんて
できないと思います。

現にできていないじゃないですか。

だから自分が正しいと
思う価値観を
人に押し付けるのではなく
自分が一番正しいと思う事を
自分がやればいいと
思うのです。

今はボランティア活動に
行く事を止めようとする
動きも散見されます。

今行っても迷惑になるだけ。

それでも自分が正しいと
思うのであれば
僕は行けばいいと
思います。

そこでもし
行っても邪魔になるなら
帰ってくればいい。

たどり着けないのなら
帰ってくればいい。

それで人に迷惑をかけたなら
謝ればいい。

僕が阪神大震災の時に
ストローを渡すことに
意味がないと思って
翌日帰ろうと思ったのと同じ様に。

でも行けば必ず
次の意味を探すようになる、
そんな気はしますけどね。

人に止められて
行くのを止めるのも
それはそれでありだと
思います。

その程度で行くのを
やめるくらいなら
確かに行かない方が
いいかもしれませんね。

行くこと自体に
誰かしらどこかで
必ず他人に迷惑は
かけるものです。

でも、それ以上に
被災地で役に立ってくれば
いいのではないでしょうか?

実際に東日本大震災の時も
ボランティアの受け入れについて
最初は否定的な声もありました。

まだ時期尚早であると。

しかしそれでも
自分が正しいと信じて
現地に赴いた人たちが
右も左もわからないまま
ボランティア受け入れ態勢の
下地を作ったのも事実です。

批判する人もたくさん
いるでしょう。

でも批判する人は
今後の人生において
自分は誰にも迷惑をかけないと
言えるのでしょうか?

完璧で過ちを犯さないと
言えるのでしょうか?

必ず誰しもが他人に迷惑をかけますし
過ちを犯しますし
完璧ではありません。

それを目指す事は
それはそれで立派なことです。

僕は、あくまで僕は
法を犯さない限りは
自分の責任において
何でもやってみればいい

ネットの情報なんかに
惑わされずに
他人の価値観に左右されずに
自分が直感で正しいと
思った事をやればいい

そんな風に思いました。

冒頭にも申し上げましたが
どんなに否定しても
現実として人は
それぞれ良いと思う事を
すでに勝手にやっている!

それを否定したところで
その動きは止まらないし
止められない。
統一させることもできない。

少なくとも
それができた人は
歴史上一人もいない。

神ですら。

であるなら
自分が直感で正しいと
思う事をやればいい。


それが人間なのですから。


p.s.
というわけで
僕はいつも通り
イベントやります。

良かったらぜひ~^^
https://www.facebook.com/events/225726027786734/

感情と事実の優先順位

こんにちは
岡田です。

先日、
とある起業家さんが
話をしている場面に
遭遇しました。

その場所には
4人いましたが
実際話をしていたのは
2人だけでした。

世間話のような
お互いの悩み相談のような
ゆるい会話です。

ゆるい会話ではあったものの
色々と勉強になると思い
その場に居させてもらいました。

そのやりとりは
多くの会話と同じ様に
一人の人が何かを言うと
それに対して
「でも」「だって」
で反論する形が
展開されていました。

お互いの意見の特徴は
相手を否定している、

それにもかかわらず
なぜかその場の雰囲気には
「ゆるさ」
が漂っているのです。

この歪んだ空気感は
まるでその空間だけ
水玉が浮かんでいて
レンズのように
周りの空気を歪ませて
いるような
そんな情景を
想像させてくれました。

「いったいなんなんだ?」

と思いながらも
僕の興味が時間を
忘れさせてくれて
思わずいろんな角度から
その水玉を眺めることに
なってしまいました。

会話というものは
その発せられた言葉に対して
必ず「感情」が発生します。

言い換えると
人は言葉や単語を
そのまま受け取らず
感情がその言葉の理解を
歪ませます。

たいていの意見というのは
感情よりも事実を元に
冷静な判断で伝えます。

文字通り冷たく感じます。

受け取る側は
感情が発生しうる状態なので
怒ったり面白くない
と感じるわけです。

しかしお互い大人ですから
元の状態に戻そうとする力も
同時に発生したりするわけです。

ここに「ゆるさ」が
生じるわけですが
決して本当にゆるい訳でなく
癒しとは真逆であり
そこには
思いやりの「ようなもの」
が誕生します。

これもまさしく文字通り
「ようなもの」
なのでどこまでも
その真偽はわからないのです。

「思いやり」だけでなく
様々な意見の交換もすべて
「ようなもの」の延長であり
その真偽はわからない、

つまり

会話をいくら膨らませても
何も進まない
ということです。

それが真実なのかどうなのかは
考えても考えても考えても
答えは出ません。

やってみるしかないのです。

そして大切な事は
やってみるのは
「本人でしかない」
ということです。

他の人がやったところで
本人はまたその事実を
感情が原因で歪んだ形でしか
受け取ることはできません。

感情が
「でも」「だって」
を誘発させます。

それほど感情というものは
人にとって優先的なものである
ということがよくわかります。

逆に捉えれば
どんなに事実を歪ませてまでも
感情はその全てを優先させる
ということです。

つまり

多くの人は感情に
振り回されている
ということであり
事実は二の次なのです。

事実と感情が歪んだレンズ作用を
発生させる水玉の源であり
その水玉は会話の分だけ
あちこちに浮かんでいます。

この世から歪んだものをなくし
クリアーな視界にするには
事実を優先させた方がいいようです。

しかしそれもまた非現実的であり
感情がそれを邪魔させます。

そしてこれは僕の客観的な
そして憶測の域をどこまでも
超えないのですが

僕の知る限り、

感情を優先させる人は
頭で考える人が多く、
事実を優先させる人は
行動を伴う人が多い
ということです。

ではどうしたらいいのか?

僕がたどり着いた結果は
自分がこのからくりを
知っているということを
意識するしかない
ということです。

他の人は知らない、
でも自分さえ知っていれば
とりあえず
自分がそのバランスを
自分で調整できます。

イヤならその場から
離れればいいし、
楽しめるのであれば
その場にいて
感情に振り回されるのも
人間らしくていいと思うのです。

むしろ感情に振り回される人が
この世に多いのであれば
ビジネスをしていく上で
その感情を理解した方が
売れるようになるでしょう。

感情に振り回されるのではなく
良い意味で感情を
振り回すくらいの
スタンスでいる自分を
意識することが

今の時点で僕が
「いいんじゃないかなぁ」
とたどり着いた答えです。

こういう書き方をすると
人の感情を弄んでいる
というような誤解を受けそうですが
そう解釈する人は
すでに感情が伴っているので
その誤解を解こうとも思いません。

事実とは違うということだけ
一応伝えておきますが。

あくまで僕は

事実を優先して、
事実を元に
感情を楽しむ

そんな優先順位で
ものごとや会話を
楽しむようにしています。

反省

こんにちは
岡田です。

最近、無料で受けられる
サービスって多いですよね。

なんだかそれが当たり前に
なっていて大切なことを
忘れている人が
多い気がします。

無料にも関わらず
文句を言う人、
結構いるんですね。

「ねばならない系」
の人は特に好意を
好意として受け取らずに
完璧さを押し付けます。

しかもそれがお客様の声
として反映される「べき」
だとして本人は
当然の権利として、しかも
良い事をしていると。。。

一方でサービスに対して
きちんとお金を支払う人は
自律しているので
何か不都合があっても
相手に文句を言わずに
「自分はどうしたらいいか?」
に頭をすぐに切り替えます。

相手を変えさせようとしたり
相手に期待をしません。

お金を払ったからとか
無料のお客さんだから
という理由で
そう決めつけるのは
たしかに偏見ですが
でも実際、
無料でしてもらう人ほど
文句を言う傾向が強いです。

タイトルを
「反省」
にしたのは
何を隠そう僕自身も
無料のサービスに対して
文句を言った経験が
あるからです。

さすがに本人に
直接言った事は
ないと思うのですが
陰で

「んだよーっ!
 つかえねーなー」

と。

無料という好意に甘えて
好意を好意として
受け取らず
不満を押し付ける
自分の不甲斐なさ。

恥ずかしいです。

そんな人が
自分の有料サービスを
他の人に提供して
本当の満足を提供できる
はずがありません。

自分が頑張って
いるにもかかわらず
それに比例した
売上げが上がらない
としたら原因は
その辺にあるのかも
しれません。

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