メルマガ登録! 仕事や営業の
コツを
毎日4秒で
読めます
Blog
儲ける脳のつくり方

2016年11月のアーカイブ

とにかく読んで欲しい

こんにちは
岡田です。
今年はアニメ映画の当たり年と
言われているそうです。
日本のアニメ映画と言えば、
宮崎駿監督率いるジブリ作品が
まず思い浮かぶと思います。
しかし今年は違います。
今年の大ヒット作は
何と言っても新海誠監督の
「君の名は。」
ですよね。
ご覧になられた方は
好き嫌いは別にして
ヒットした要素は少なからず
感じとれたのではないでしょうか?
そして今、
秘かに?ヒットしている・・・
いや、すでに大々的に?
ヒットしているアニメ映画
「この世界の片隅に」
を観て参りました。
便利な世の中になったもので
最近は映画の前評判を
プロの評論家だけでなく
素人の感想なども
いろんなサイトやSNSなどで
チェックできます。
その恩恵にあずかり、
「この世界の片隅に」
の感想や評判も
事前に調べてみました。
すると次のような感想が
異様に多いことに気づきました。
「とにかく観て欲しい!」
もう、どこのサイトも
このフレーズだらけです。
「とにかく観て欲しい!」
おいおい。
とにかく観て欲しい、ってそれだけ?
ずいぶん粗い感想だな。
食べログで言ったら
「すげーうめー」
と大して変わらないぞ。
その程度の感想なら
むしろ書かない方がいいのに!
と、そんな充実していない
感想をチェックしつつ
多少がっかりしながらも
実際、観て参りました。
さて。
僕の感想は・・・
「とにかく観て欲しい!」
です。
いや、あの、
ウケ狙いとかではなく
本気でそう思います。
この映画が
構想何年か知りませんし
製作費がいくらか知りませんし
監督が誰か知りませんし
興行収入がいくらか知らないですし
全米が泣いたかどうか知りませんが
とにかく観て欲しい。
何をどう説明したらいいのか
よくわからない新感覚の映画です。
当然、話の内容に好き嫌いは
あると思いますが
経験としては新しい経験が
できると思います。
どこから説明したらいいのか
まったくわからないので
思いつくまま書きますね。
まず、この映画は
ストーリーだけで
感動させていません。
あ、一応戦時中の話なので
悲しい話です。
大変な話です。
ひどい話です。
それは普通の戦争映画と
変わらないです。
まぁそれだけでも十分
泣けるのかもしれませんが
それだけならよくある映画です。
映画館で泣いてる人が
何人もいましたが
恐らくストーリーだけで
泣いてる人はそんなに
いないんじゃないかと思います。
最初に紹介しました
「君の名は。」は
映像がとてもシャープで綺麗でした。
その映像の美しさも
「君の名は。」の見所の一つです。
一方で「この世界の片隅に」
の映像は、のほほ〜んといった
タッチで描かれています。
絵本の中の世界観と言えば
いいのでしょうか?
そんな感じの映像です。
しかしなぜか、
シャープで綺麗に描かれている
「君の名は。」よりも
実写に近い感じがするのです。

3DやCGを駆使しているわけでは
ありません(たぶん)。
それなのによりリアルさを
感じてしまうのです。
映像の中の世界を観ている人が
「想像する」のではなく
「思い出す」感覚なんです。
わかりますか?

わからないですよね^^;
「君の名は。」の方の映像は
「こんな素敵な街に住んでみたいなぁ」
とか
「こういう森ってありそう」
とかそういう感覚であるのに対し
「この世界の片隅に」の映像は
「確かにそこにあった」
「確かにそこにいた」
「確かにそれやった」
という感覚です。
映画の中の主人公が
「いた」し「やった」のですが
それがなぜか
僕が「いた」し
僕が「やった」
ような感覚が残るのです。
どうやらこの映画は
建物、街並み、衣装、しぐさ、言葉
などなど
それらに関するありとあらゆる
文献を大量に取り寄せて
時代背景を調べまくって
映像に忠実に反映させたようなのです。
この尋常ではない努力の成果によって
絵本のようなタッチでも
観ている人が
よりリアルに近い感覚に
襲われるのでしょう。
さらに
声優さんの仕事も超一流でした。
声を単にアテレコしているだけでなく
演技のパワーのようなものを
感じました。
特に主人公の声優さんの演技は
鳥肌ものです。
このように書くと
さぞかしものすごい
映像を期待されるかも
しれないのですが
ある一場面も切り取って
それを観ただけでは
恐らく今までのアニメ映画と
そんなに変わらないでしょう。
効果音が頻繁に使われたり
無理矢理感動させようとして
音楽が大音量で流れたり
3Dがどうとか
CGがどうとか
特殊な技法でびっくりさせるような
映像があるわけでもありません。
一つ一つの場面を
一つ一つの細部にまでこだわった
その連続が作品となり
その作品を観終わった後に
「なんかすげー」
という感情が溢れ出てくるのですが
この「すげー」の後に
言葉が続かないのです。
すげー感動したのか
すげー悲しかったのか
すげー面白かったのか
すげー笑えたのか
どれもそうだし
どれもそれだけじゃない。
特にラストシーンでは
いろんな感情が
一気に襲いかかるので
面白いとか感動するとか
楽しいとか悲しいとか
そういう単語では
とても語れない不思議な映画でした。
神は細部に宿る。
もしこの映画の製作過程を
巻き戻して観る事ができるなら
恐らくこんな言葉が
当て嵌まると思います。
どうしてそこまでこだわるの?
そのこだわりとは
決して技術的なことだけではなく
決して妥協を許さない
スタッフ全員の職人としての想い、
そんな職人の一つ一つの
仕事の連続や集合体が
この作品であり、
細部に至るまでの完成度の高さを
全身で感じ取れる映画でした。
それを感じた瞬間、僕は
たとえばストーリーとして
悲しかったとか感動したとか
映像としてすごかったとか
音楽が良かったとか
声優さんの演技が良かったとか
そういうどこか他人事というか
俯瞰した感想はどこかへ
飛んで行ってしまい、
今、観た映像は
全体像として何となく
自分が体験したことを
振り返ったような映像であり
自分のこととして
どう思って
どう感じて
これからどう生きるのか?
そんな感覚に襲われたのです。

今までの映画のように
主人公に感情移入するのとは
違います。

あくまで自分が体験したことが
映画になった、
そんな不思議な感覚です。
だからラストシーンでは
映像的に残酷で
悲しい場面があるのですが、
いつもなら主人公に感情移入して
泣いてしまうところを
この映画の場合は僕は
「ここは泣く時じゃない!
 目を開いて観なきゃ!」
と感じたので
周りが泣いている中で
ひとり目をギラつかせていました。
そういう意味で
観ている人がそれぞれ
主人公になりうる映画なので
感想をどう表現していいのか
わからないのだと思います。
余計なことは言わずに
「とにかく観て欲しい!」
という感想は
的を射た感想なのかもしれません。
そしてこの映画の監督にかかわらず
映画監督というのは
もしかしたら誰もが
この映画のようなものを
目指して作ってきたのでは
ないでしょうか?
監督がこういう感動を与えたい、
の「こういう」という
着地点など設定せずに
映画を観ている人が
それぞれ自分なりの
感動を作る。

多くの映画監督は
それを目指していたにもかかわらず
なかなかそれを成し得なかった、
そんな気もするのです。
いや、映画監督だけでなく
もしかしたら
アートと呼ばれるものは
おしなべてそうなのでは?
だからどんなに良い作品を作っても
納得がいかず、
自分のエゴと戦い
自分の力のなさに嘆き
次の作品でまたチャレンジする。
そう考えると僕らも
仕事をしていて
商品やサービスが
一つの作品だとしたら
この領域を目指す価値が
あるのではないでしょうか?
神は細部に宿る・・・
その一方で
この世に完璧なものなど
一つもありません。
しかし神が宿るとしたら
それは確かに細部なのかも
しれません。
僕もセミナーや講演
このブログを含めて
ビジネスコンテンツ
という作品を提供する者として
この映画から受けた衝撃は
計り知れないものでした。
自分の商品を買ってくれた
お客さんたちが
まだ買ってない人たちに
「とにかく買って欲しい!」
そんな風に言われる様になるために
この映画から学ぶことは
たくさんありました。
お時間があればぜひ!
ではなく、
お時間をどうにか作って
「とにかく観て欲しい!」
映画でした。
「この世界の片隅に」公式サイト

http://konosekai.jp/

営業行為が嫌いな人へ

こんにちは
岡田です。
日本という国はご存知の様に
モノやサービスが溢れている国です。
つまりほとんどの商品には
似たような商品がたくさんある
ということです。
似たような商品AとBが
並んで販売されているなんてことは
日常よくあることです。
さてこの似たような商品AとBを前に
お客さんが取る行動は
大きく分けて以下の4つです。
①.Aを買う
②.Bを買う
③.AもBも買わない
④.AもBも買う
どうでしょう?
この4つ以外に何かありますか?
ちなみにAもBも買わずにCを買う
という考えは③として考えます。

AもBもCも買う場合は④として
考えるのは言わずもがなです。
そう考えると
この4つ以外はないのです。
そこで一つ質問です。
お客さんの立場になって
考えてみて下さい。
①〜④の選択肢の中から
何を選びますか?
わからないですよね?
質問が乱暴過ぎますから^^;
しかし日本では多くの人が
その状態なんです。
自分たちの周りには
モノやサービスが溢れていて
どうしたらいいのか
わからない状態なんです。
そこで必要なのは何でしょうか?
買うにしろ買わないにしろ
買う場合には
Aを選べばいいのか
Bを選べばいいのか
もしくは両方選ばずに
Cを選んだらいいのか
いずれにせよ
「情報」がなければ
選択する判断基準すら
作れないのです。
その判断基準となる情報は
誰が発信するのか?
と言えばそれが営業マンなのです。
たとえ営業マンという
専門の職種でなくても
売り手である側の役目なのです。
それが営業活動です。
もし商品の情報を発信しなければ
それはその商品が「ない」
つまりこの世に存在しないのと同じ
ことを意味します。
なぜなら誰にも気づかれないのだから。
その商品についての情報の
ほんのかけら程度ですら
見た事も聞いた事もない
陰も形もない
噂ですら存在しないモノを
知ることができるでしょうか?
比較することができるでしょうか?
ましてや買う事ができるでしょうか?
誰一人として知られていない
その商品は残念ながら
この世に存在しないことと
ほぼ同義ではないでしょうか?
営業行為を嫌う人は
良いモノを作れば
必ず誰かがわかってくれて
買ってくれると頑に
それを信じています。
残念ですが、
それはあり得ません。
なぜならたとえどんなに
良いモノであったとしても
それは買い手にとっては
この世に存在していないのですから。
悲しい事に
「選ばない」
という判断すらも
されないのです。
そしてもう一つ
大切なことを
お伝えします。
何かを買う時に
「これが不幸の始まり」
だと思って買う事はありますか?
モノを買うその多くの場合
人は何かを期待して
ワクワクしながら
買うと思うのです。
これで痛みから開放される!
これであの人を喜ばせる!
これはおいしいに違いない!
次のデートでこの服を着よう!
これでみんなから注目される!
便利な機能で時間短縮できる!
この内容は面白いに違いない!
これでお腹が満たされる!
これで綺麗になれる!
これで格好良くなれる!
これでぐっすり眠れる!

などなど。
恐らく現状よりさらに
「良くなる」
ことを信じて買うと思うのです。
それは幸せになると信じている
と同じ意味合いです。
今より良くなること
今より幸せになることを
求めている人に
その判断基準となる情報を
伝えるのが売り手の役目なのです。
だからお客さんに
買ってもらう時に
逆にお客さんから
お礼を言われたりするのが
売り手としての最大の
喜びになるのです。
買う(もしくは買わない)
という判断基準を
教えてくれてありがとう!
と。
営業行為が
お客さんが幸せになれる手助け
となった瞬間です。
そして
たとえ選ばれなくても
(買ってもらえなくても)
幸せになる判断基準を
伝えているということを
忘れてはいけません。
その時にたまたま自分の商品を
選ばれなかったとしても
幸せになれるお手伝いを
するのが営業行為なのです。
その行為を嫌う人は
お客さんが不幸になればいい
と言わないまでも
お客さんの存在を
無視していることになります。
どうでもいい存在。
当然売れるわけありませんし
誰からも喜ばれることは
ないでしょう。
自らその可能性を
閉ざしているのですから。
つまるところその商品は
買う事によって
不幸になるのが目に見えてると
確信しているとしか
思えないのです。
もしそうだとしたら
確かにその場合おいてのみ
営業行為をしては
いけないと思います。
しかし
もしその商品を買う事によって
幸せになれる人がいるのであれば
僕は営業行為をすることが
多くの人を幸せにできる
可能性を信じて止みません。

会議のあり方

こんにちは
岡田です。
会議がやたらと長くて出たくない!
そう思った経験はありませんか?
僕はあります。
出たくないと思うのは
実は、時間が長いからではなく
会議の内容そのものに意味がない
と毎回毎回思わされるから。
こんな会議意味がない!
現場をわかっちゃいない!
机上の空論でしかない!
バカバカしい!
上司のストレス発散の場!
伝達事項だけならメールでいい!
会議に参加する側の不平不満は
概ねこんな感じだと思います。
逆に会議を招集する側、
上司や上役の意見は
ウチの社員たちは
何を言っても響かない
死んだ目をしてる
覇気がない
アイデアや意見を出さないくせに
陰で文句ばかり
毎回お通夜のような雰囲気
こんな会議ならやるだけムダ
こんな感想をお持ちのようです。
さて、
どうしてこうなるのでしょう?
両者とも会議が最初から
不必要だとは思っていません。
やっていくウチに
今やってるような会議がムダだ!
と思うようになるのです。
そう。
両者とも意見は同じなのに
いつしかギスギスしはじめ、
嫌になるのです。
その原因をお互いがそれぞれ
お互いのせいにしている
そこにも原因があるのです。
部下は上司が怒るから
発言がしにくく
上司は部下に覇気がないから
仕方なく怒る。
こんな感じではないでしょうか?
まさに鶏が先か卵が先か。
もはやこうなってしまっては
そもそもの発端となった原因が
どちらが先であったかを
追求したところで意味はありません。
それよりも今後どうしたら
より実りのある会議になるか
を探った方が良さそうです。
そもそも何の為に
会議はするのでしょう?
突き詰めて行くと
誤解を恐れずに言えば
より売上げを上げる為です。
では売上げというのは
どこで成り立っているのでしょう?
もちろん現場です。
部下の持ち場です。
その部下が現場で
困っていることを
どうにかするために
会議をするのです。
よほどのへそ曲がりでない限り
部下を現場で困らせたいために
会議をする上司はいません。
どうにかしてあげたいのです。
ここで多くの人が目を背けたがる
重要な事実をお伝えします。
上司は部下を助けることはできません。
いや、助けてはいけないのです。
なぜなら、
だったら最初から上司が現場に
いればいいのです。
売上げを上げる為だけなら
実績を作れる上司が
思う存分売り上げればいいのです。
なぜ未熟な部下を現場に行かせて
みすみす売上を下げるかもしれない
ことをさせているのでしょうか?
それはそれをしてまでも
部下を成長させる必要が
あるからです。
つまり未来への投資なのです。
それなのに現場で部下の成長の
可能性を奪う事は
未来への投資が中途半端に
なってしまうのです。
現場で手伝う事はもちろん
会議でも上司は前に
しゃしゃり出ては
いけないのです。
部下が現場で困っている事で
その場で解決できなかったことや
うまくいかなかったことを
会議で考えたり対策を
立てたりするのです。

会議はあくまでも
現場では解決できなかったことを
じっくり現場の仲間同士が
自分たちの力で解決に導く為の
時間と場所なのです。
上司の過去の武勇伝など
どうでもいいのです。
それを参考にするのはいいですが
ほとんど参考になりません。
なぜなら時代はすごいスピードで
変わっているからです。
会議での上司の役目は
ただ一つです。
未熟であるがために
現場で対応しきれなかった部下が
自分たちでどうにか解決策を
見つけ出すために
会議という形で
時間と場所を提供するたけです。
それを見守っていればいいんです。
会議で口を出すから
部下が自分たちで
考える事を放棄するのです。
現場での全てのパターンを
上司が部下に教える事が
可能であれば
そのやり方もありでしょう。
部下は教わった通りにやれば
売上は滞りなく上がります。
しかし現実的には
そんなことできません。
毎回違う新しい困難が
次から次へと襲ってきます。
上司に教わったことが
そのまま使える事など
100回に1回あればいい方です。
であるなら
部下は自分たちで
その場(現場)で考えて
乗り越える訓練が必要なのです。
それなのに上司が
会議で口を出すことによって
その可能性を奪っては
いけないのです。
違う言い方をすれば
上司は会議でいるだけで
いいのです。
アイデアを出す必要も
怒る必要もないのです。
どちらもしてはいけないのです。
ただいるだけ。
見守るだけ。
それでいいんです。
「ウチの上司は会議で
 ただ座ってるだけ!
 アイデアも出さなければ
 参考になる過去の経験も
 教えてくれない。
 現場で困っているのに
 何も教えてくれない!」
部下にそんな風に
言われる様になったら
部下はしっかりし始めます。
あとはその会議は
ひとりでに成長を
始めます。
会議は部下達がやるしか
ありません。
アイデアや意見が活発に
出始めます。
なぜなら現場で困るのは
本人たちだから。
上司は何の為に役職を
与えられているのでしょう?
それは自分の手柄を
もう意識しなくてよくて、
部下に手柄を立てさせる事に
集中して欲しいからです。
もし上司が次の昇進として
自分の手柄が必要なら、
それは自分が現場で
数字をあげる手柄ではなく
会社の運営やマネジメントで
成果をあげることです。
別の言い方をすれば
部下を育てることです。
部下の数字作りの手柄を
自分の出世のための手柄と
同列にしているようでは
役職を放棄して現場で自分も
手柄争いをしているような
ものなのです。
上司はその感覚を
まずは捨てなければなりません。
一方で
部下達は会議で
どのような会議運営を
すればいいのでしょうか?
自分たちが現場で学んでいる
「今」をお互いが隠す事なく
そこからアイデアを出し合うことです。
お互いが助け合う。
アイデアを出し合う。
自分たちの頭で考える。
そういうものが必要なのです。
そう考えると
逆に会議というものは
長くなっても仕方ないと
思います。
会議が長いからムダ
と思うのはいささか
違うと思います。
もし短時間で誰もが
答えを出せるなら
そもそも現場でその場で
対応できているでしょう。
会議が「長い」からムダ
などと言う事自体は
ただの甘えであって
長い短いは関係なく
意味のあるものを
ひねりだす必要があるのです。
「意味のある」とは
自分たちで突破口を
考え抜くという
ことなのです。
それが短時間でできるなら
会議は短くなるでしょう。
自分が未熟なら当然
長くなるでしょう。
自分の未熟さを棚に上げて
会議が長いからムダ
と言っているようでは
とても成長しているとは
言えません。
会議で上司が口を出す
と言う事は
部下が自分たちの未熟さに
気づく前に
言い訳のスキを
与えてしまっている
ということなのです。
だから上司は部下を
助けてはいけないのです。
助けようとして
うまくいかなかった時は
発言した上司の責任に
なってしまうのは
火を見るより明らかです。
上司が会議でどんなに良い
アドバイスをしても
陰口をたたかれたり
文句を言われることがあっても
感謝されることはありません。
そして長い目で見ても
その場で解決策を与えるような
上司の元にいる部下達は
成長はなかなかしないでしょう。

がんばるとは?

こんにちは
岡田です。

本日、山登りに行って参りました。
釣りがハードなスポーツだと
思っているほど普段から
体を動かさない僕にとっては
なかなかハードな1日となりました。
いや、なかなかどころか
ここ10年以上味わった事がないほど
きつい体験をしました。
よく人生は山登りに例えられますが
今日はリアルに山に登り
登山中は終始きつい状態が続き
油断すると危険な状態だったので
人生観や仕事観に
重ね合わせて頭を紛らわすしか
ありませんでした。
まず、途中で危険な箇所が
たくさんありました。
普通に通れば問題なく通れますが
ちょっと気を抜いたり
ちょっと手が滑った
ちょっと足が滑った
その程度で十分大けがをしたり
下手したら命を落とせるくらいの
危険度です。
人生にもそんなところは
たくさんあると思います。
登山で大切なことは
当たり前ですが
途中で死なないことです。
人生も途中、どんなに苦しくても
死んじゃダメだ、
そんな大袈裟な気持ちに
させてくれました。
仕事で言えば
途中で諦めない事、
やり抜く事、
と言い換える事が
できると思います。
そう書くと仕事で
どんなに辛い状況でも
無理しないといけないの?
それで死んじゃったら
本末転倒じゃないの?
と言われそうですが
半分そうで、半分違います。
実は今回、
山登りをするにあたり
体をならす為の体力作りを
僕は全くしていませんでした。
さらに本番当日は寝不足な上に
朝ご飯を食べずに行きました。
正直、軽い気持ちで
山登りに挑んだのです。
「ナメてんの?」
と言われても仕方がありません。
仕事で言えば
完全な準備不足です。
当然の結果として
途中で体調が悪くなり
足と頭が痛くなり
3〜4合目あたりですでに
グロッキー状態でした。

足の痛みは一歩歩くごとに
付け根の筋?の部分に
激痛が走ります。

頭は船酔いしたような感じで
めまいがして
足元を注視することができません。

立ってるだけのことが
辛くて辛くてしょうがない
そんな状況です。

俗的に言うと
「マジで死にそう」
でした。
だいたい200歩も歩けば
足の痛みは限界に達し、
頭が朦朧として
座らないとヤバイ状態です。

200歩ごとに休むって
その前に休んだところから見たら
視界の中にある景色内の場所です。
しかし僕にしてみたら
もう何キロも歩いた感覚です。
あとどんだけあるんだよ!
もう歩けない
もう動けない
ここで引き返せたら
どんなに楽になれるか。
でも山頂からの景色を
楽しみにして一緒に
行ってくれている人が
そばにいます。
僕が引き返すと言えば
当然一緒に下山するでしょう。
かと言って自分が山登りを
続ける事で迷惑をかけたくも
ありません。
困りました。
そこで僕は決めました。
約200歩進んだ所で休んで
それでも痛みがひかなかったり
フラフラしたりすることで
身の危険を感じたら
すぐに下山すると。

自分が納得する形で
最悪の自体を招かない様に
線を引いておく。
それまではどんなに
ゆっくりだろうが
迷惑をかけて醜態をさらしても
とにかく前に進む!
と決めました。
そう
人生は一歩一歩進むしかないのです。
たとえこれが下山を選んだとしても
自分で一歩一歩
歩くしかないのです。
無理して死んじゃったら
本末転倒じゃん!
と言うかもしれませんが
止まっていたら
それもまた死を待つのみです。
誰かがおんぶしてくれるかもしれません。
でもそうすることで
その人の命を危険にさらす
ことになります。
だったら
おんぶではなくて
迷惑をかけながら
かっこわるい姿をさらしながら
待ってもらいながら
励ましてもらいながら
アドバイスをもらいながら
色々気を遣ってもらいながら
自分で歩くしかないのです。
辛くても自分で歩く
それを「無理してる!」
と言えば無理をしています。
でも無理して死なないために
醜態さらして
迷惑をかけながら
休ませてもらっています。
他の人から見たら
「200歩進んで休む?
 何かの冗談?」
と言われるような
手ぬるい頑張り方です。
自分の普段の状態から
考えても十分手抜きです。
でもその時は
死なない程度の
死なないための
頑張りなのです。
「そんな状態になるなら
 山登りなんて最初から
 しなきゃいいじゃん!」
と言う人もいるでしょう。
確かにその通りかもしれません。
しかしそんなことを言っていたら
何もできなくなります。
さらに
「準備不足がいけないんじゃん!」
と言う人もいるでしょう。
まったくその通りなのですが
ただ逆に言えば
どんなに準備をしても
それで完璧という準備は
あるのでしょうか?
今回の僕の準備不足は
明らかに僕の手抜きなので
自業自得です。

しかし、長い人生の中では
準備をしっかりした人でさえも
今日の僕のような困難に
遭遇する事はままあることでは
ないでしょうか?
準備をしっかりすることは
困難な状況に合わない確率を
上げることであり
困難を皆無にすることを
保証しているわけではありません。
仕事で普段から
一生懸命やっているのに
いつまでたっても
困難ばかりだ!
さらに頑張れ!
って言われても・・・。
じゃぁ、山登り止めますか?
最初から何かに
チャレンジするのを止めますか?
上司や親や社会のせいにして
おぶってもらいますか?
不屈の精神で
自分がチャレンジ
し続けられるほど
やりたいことがあれば
チャレンジした方がいいと思います。
もしそういうものを
まだ見つけていないなら
なおのこと
いろいろ経験した方が
いいと思います。
最近
「頑張らなくていい」
という言葉をよく耳にします。
その耳に優しい言葉を
そのまま解釈して
辛いことは一切せずに
何にもチャレンジしないことと
イコールに思う事は誤解です。
そんな誤解をしている人がいたら
僕からしてみたら
家から一歩も出ないでいるか
山登りの最中に
ちょっとでも辛くなったら
一歩も歩かないと
言っているように思えます。

人に迷惑をかけようが
どんくさいやり方だろうが
醜態を晒そうが
非効率だろうが
突っ込みどころがたくさんあろうが
自分で決めて自分なりに
頑張るしかないと思うのです。
それでも人は失敗したり
どうしていいかわからない状態に
陥ります。
その時に自分で考えて
ふっと気が楽になって
できることを精一杯
頑張ればいいと思うのです。
それが最善の策だと自分で思うなら。
そうこうしているウチに
準備をしっかりできるようになり
困難が少なくなり
ある日、他の人から見たら
得意分野が増えていたり
仕事ができるようになったり
するのです。
頑張るって何?
頑張らない方がいいの?
どこまで頑張ればいいの?
山登りをしながら
人生や仕事について
頭が朦朧としながらも
そんなことを思って
無事帰ってきました。
一緒に行ってくれて
気を遣ってもらって
ご迷惑をおかけして
それでも楽しかったと
言ってくれたお二人に
感謝いたします。
今日ほど自分が
弱い人間であることを
痛感させられた日は
ありませんでした。
辛い思い出ほど
後から良い思い出になることは
多くの人が経験上
知っていることです。
それを今回も疑う事なく・・・
ありがとうございました。
追伸
大袈裟に書きましたが
僕の登った山は
70歳くらいの方々が
死体のような僕を横目に
ヒョイヒョイ登って行けるほどの山
であることは恥ずかしくて言えません。
{DE477F66-652D-43D6-9210-3A798E390F7B}

{73AAF56F-C147-4BC3-9874-0B19391C38A1}

{A003A62F-2F14-4FB8-AAAE-7D13DE408767}

{A8B1C0C6-14F3-4D9D-8F8D-30076997C83C}

{1DFE713F-362D-4BA0-BCE7-BEC9A0559C57}

{8E363E08-2757-4A7D-95C5-6C953E16E49F}

{6CEEC5C5-36AA-4317-8B95-7903CF0D8BD8}

{A2E5AF5A-E392-42A7-AA80-C26A570CB847}

{FF363D52-D505-4141-B16F-61C0BE61CF8D}

{97813880-1E07-47DC-A798-DBB4E2B42963}

{3B4A5CD3-42B8-4CC6-9E94-337A9BB6F65A}

{51AE35E3-7E91-4816-BE4B-5941860BC008}

{0E15F7A7-A0F4-4850-8761-A7D14A62107F}

{366E4EF5-0E1F-4199-8CAE-03B67DBC5616}

{3BDB32B0-A1A8-4EC9-B52D-729DF8FD43DB}


Blog Menu ブログメニュー

NEWS & SEMINAR お知らせ&セミナー情報

このページのトップへ