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儲ける脳のつくり方

2016年12月のアーカイブ

仕事やサービスの質の低下の原因

こんにちは
岡田です。
 
2016年最後のブログ更新です。
さて、
今日の記事は自分に
言い聞かせる意味も含めて
厳し目に書きたいと思います。
 
最近、
世の中で受けるサービスが
目が点になることが多いです。
 
俗に言う

「俺は客だぞ!
 俺は金を払ってるんだから・・・」

的なクレーマーとして
言っているのではなく
無言の悲しみとして

「まじか〜。残念過ぎる。。。」

と心の中でつぶやいてしまう
扱いを受けることが
本当に多いです。
 
日本人ってこんな感じだったっけ?
 
逆に昔ではごく普通の
サービスだったものが
今、そのサービスを受けると
「伝説のサービス」
がごとく語られます。
 
それはそれで
結構なことですが
うがった見方をすれば
あまりにもお客さんへの
扱いがひどいお店が
増えてきたおかげで
普通のサービスが
伝説化してしまうって
手放しで喜べない、と
僕は思ってしまうのです。
 
なぜこんな時代になって
しまったのでしょうか?
 
僕は前々から思うのですが
どうも「自分らしさ」とか
「あなたはあなたのままでいい」
というフレーズを
大きく誤解している人が
多いと感じます。
 
そしてその誤解が
誤解されたまま
メジャーな考え方として
ある種の勘違いした人たちによって
今の世の中を作っている気がします。
 
またハラスメント問題が
大きくとりあげられる
時代の弊害が
このような自体を
招いていると
思わざるを得ません。
 
何が言いたいのか。
 
それは
 
最近、本気で誰も叱ってくれない
世の中になってしまった
 
ということです。
 
特に上司や先輩。
 
愛情を持って叱っても
ハラスメントとして
訴えられたらそれで終わりです。
 
叱ると返り討ちに会う。
 
叱るどころか
「指摘」すらも
怖くてできないのが
本音ではないでしょうか?
 
その仕事や作業をしている
部下や後輩は
「それでいい」
と悪意なく思っているのでしょう。
 
本人はそれでいいと
思っているのですから
改善のしようがありません。
 
自分の不手際を
自分で気づける人間なら
お客さんのため息や
肩を落としたことを
見逃しません。
その瞬間に
自分のしたことを省みます。
 
そこから自分の不手際や
改善の余地を探ることで
自分の成長を自ら
課せる人となるでしょう。
 
そういう人にはまさに
叱る必要などないでしょう。
 
ところが
 
その訓練を受けずに
 
「いいんだよ。いいんだよ。
 そのままでいいんだよ。」
「あなたはあなたのままでいい。」
 
という周囲の甘い言葉を
そのまま解釈して
 
「自分は一切変化する必要なし!」
 
と思い込み
自分と違う上司の価値観を
攻撃の対象としてみなし
パワハラとして法律に委ねる。
お客さんから怒られても
質の悪いクレーマーとして
相手にもしない。
 
そんな人たちが
自分の成長という変化を自ら課す
その訓練はいつどこで
体験できるのでしょう?
 
経験もしたことがない、
経験するつもりもなければ
気付きさえもしない
 
そんな人がいつどこで
どう成長するきっかけを
見つけられるのでしょう?
 
また厄介なことに法律が
彼ら彼女らを過度に擁護する
時代になってしまっています。
 
法律がそうであるなら
叱る義務も指摘する義務も
つまり教育の義務も
放棄したくなるのも
無理はありません。
 
それでも上司たる人間は
その法律を遵守し
教育を放棄しては
いけないのです。
 
しかし、
 
しかしですよ。
 
そういう上司や先輩は
強くなければ
とてもじゃないですが
今の世の中は
やっていけない
環境や文化になってしまって
いるのです。
 
ちなみにここで言う
「強さ」とは
優しさや余裕を持ち合わせて
他人のために時間や苦労を
惜しまない人間です。
 
ではそういう強さを
持ち合わせる為には
どうしたらいいのでしょうか?
 
どうしたらそういう強くて優しい
愛情のある上司が
育つのでしょうか?
 
今、権利だけを主張して
自分のいい加減な仕事は
棚に上げて
ちょっとでも
自分に気に入らないことがあれば
「ハラスメント」
として訴え
法律に守ってもらい
お客さんをお客さんとも思わず
感謝の念を教わる事もなく
「自分は一切変化する必要なし!」
と思っている、
そんな人の未来に
何があるのでしょう?
 
その人が時間の経過とともに
「強い」上司になるとは
到底思えないのです。
 
自分以外無関心。
 
そんな上司はもちろん上司ではなく
その下についた部下は
本当に仕事としての
幸せを見つける事が
できるのでしょうか?
 
部下のうちはそれで
いいかもしれません。
(僕は良いとは思いませんが)
 
しかし未来において
自分に後輩ができ、部下ができ
チームで大きな仕事をする時に
それに耐えうる人物になる訓練を
いつするのでしょう?
 
その訓練は
自分が若いうちに
するしかないのです。
 
では、
「あなたはあなたのままでいい。」
「そのままでいいんだよ。」
という思考は間違いなのでしょうか?
 
僕はそんなことは
ないと思っています。
 
そのままの解釈だと
誤解してしまう人がいる
と言いたいだけです。
 
たとえば
 
上司が部下の行動に対して
厳しく叱責したとしましょう。
 
部下はもちろんそれの何が
悪かったのか気づいていません。
 
上司の価値観を
部下に無理矢理押し付けて
それを行動として強いたら、
僕はそれはパワハラだと思います。
 
しかし、あくまで上司も人間です。
価値観を示すことは
何も悪いことではありません。
 
上司の立場として
職場の先輩として
人生の先輩として

「俺は過去の経験から

 こうやった方がいいと思う、

 そう教えたのに、

 なぜやらなかったの?」

と指摘したり、時に叱ることの
何がいけないのでしょう?
 
叱られるというのは
価値観の違いを
見つけることなのです。
 
部下は良かれと思って
こうやった、
でも上司はその価値観が
あり得ないと思った、
 
その違いが見つかった
ということに過ぎません。
 
つまり
 
ここからが対話の始まりなのです。
 
どっちの価値観が正しいとか
それを押し付けるとかでは
ないのです。
 
対話によって
自分のしたことが
良かったのか悪かったのか?
上司の価値観が果たして
本当に最善なのだろうか?
いろんなことを
気づけるチャンスでもあり
始まりなのです。
 
たとえ過去にその上司が
うまくいった成功事例を
示してもらったとしても
自分のやり方をどうしても試したい、
そうすることで
もっとお客さんが
喜んでくれるかもしれない、
それをしたいんだ!
 
という強い意志があれば
それこそが
 
「あなたはあなたのままでいい」
「そのままでいいんだよ」
 
と言えると思うのです。
 
対話をもってして
上司という違う価値観の
壁を乗り越えて
そこでようやく
世間の荒波に
向かって行けるのです。
 
言わば上司の反対意見は
世間で通用するかどうかの
フィルターの役目なのです。
 
その愛情ある壁や坂道を
最初から平坦なものにするために
 
対話を始めることなく
自分がラクできるようにやる、
叱責しようものなら
パワハラとして訴える
 
それは上司が部下に
不条理な何かを強要するのと
やっていることは
大して変わりません。
 
まずは対話を始めることが
大切なのに。
 
「そのままでいいんだよ」
 
という言葉は音調としては
とても優しい音調ですが
実は前提としてそこには
価値観の違う人との対話があり、
それを乗り越えて
自分で行動としての責任をとれる
そんな一面も内包しているのです。
 
それを
「変化しなくていい」
と勘違いしていると
どこまでも甘い世の中、
舐めきった人生を
歩むことになると思います。
 
成長をしたいのなら
叱ってもらった方が
実はラクなのです。
 
こういうことを言うと
 
「え?変化しなきゃいけないの?」
 
と言い出す人がいます。
そういう考えの人がいたら
逆に聞きたいです。
 
「あなたは昨日のあなたと
 まったく同じなのか?」
 
と。
 
「変化しなきゃいけないの?」
ではなくて
 
「変化してしまうのが人間」
なのです。
 
だったら
「変化しなきゃいけないの?」
ではなくて
変化してしまうのであれば
「どう変化したら自分にとって
 良い人生になるのか?」
を問うた方がよくないですか?
 
それを踏まえた上で
自分のやりたいように
やればいいと思うのです。
 
そこに上司の価値観に
合わせる必要などどこにも
ありません。
 
あなたはあなたのままでいい。
 
そこには責任が発生し
その責任ある行動と
試行錯誤の末に
やりきった仕事や
提供するサービスには
強い意志や魂が
必ず宿ります。
 
そのサービスを受けたお客さんが
「残念に思う」
事などそうそうないと思います。
そう思うのは
僕だけでしょうか?

やることやっただけでは評価されない

こんにちは
岡田です。

何の調査だったか
どこの調査だったか
忘れてしまいましたが
「営業」という職種は
学生がなりたくない職種
ナンバーワンだそうです。

まぁ学生じゃなくても
なりたくない職種なんでしょう。
それは僕の周りを見ていても
なんとなくわかります。

「とにかく営業だけはやりたくないっ!」

よく耳にするフレーズです。
敵意すら感じる
その強い言い方に


「何もそこまで嫌わなくても・・・」


と思いながら
若干残念な気持ちに
なることがあります。


なぜ残念なのか?


それはそう言ってる人の
意に反して少なからず
営業という活動を
するしかないからです。


そもそも営業とは何か。


営利を目的とした業務です。
営利業務、つまり営業。


資本主義の社会において
会社というものは
すべからく営利を目的としています。


だからたとえばお店で言ったら
「営業時間が朝10時から夜8時まで」
というお店の場合は


朝10時から夜8時までは
このお店では
営利を目的とした業務を
行っていますよ?
という時間帯のことなのです。


そのお店や会社で
働くということは
営利を目的とした業務の
一部を担うことです。


それがお店や会社で
働くということなのです。


つまりどんな仕事であれ
資本主義社会において
会社で働くということは
営業活動に参加する
ということなのです。


営業マンがお客さんのところへ
行くのももちろん
営業活動の一部ですし


事務員さんが電話対応するのも
プログラマーがソフトを作るのも
アルバイトが飲食店で皿を洗うのも


営業活動の一部なのです。


その「営業活動」というものを
細分化していくと
役割という概念が発生します。


たとえば
事務という役割
プログラマーという役割
皿洗いという役割


その役割の方が思考として
優先されると悲劇が生まれます。


役割を優先する人は
自分の仕事は
●●という役割だから
「営利を目的とした業務」は
しなくていいと勘違いし始めます。


いやいや、
「営利を目的とした業務」
の中にそれぞれの役割があるんです。


目的はそっちのけで、
目の前の役割だけに専念する。


それがどういう状態なのか
と言えば


目的が同じではない人が
ただ同じ場所にいるだけ
という状態なのです。


なので


「えーーーっ!私、
 営業じゃないし関係ないじゃん!」


などと言う人がいたら
その人は


「資本主義社会においての会社で
 働くことができません。」


と言っているようなものです。


資本主義社会において
会社というのは基本的に
利益を生み出してのみ
存続が許されます。


利益を出す事を目的としない人が
自分の役割だけを主張して
営利を意識しないまま
その会社に居続けたら、


ましてや、
そういう人ばかりになったら
その組織は崩壊に向かいます。


利益を生み出す目的から
どんどん離れるので
資本主義社会においては
存続が許されなくなるからです。


役割においての作業をこなすことが
どんなに他人よりできたとしても
その作業が営利を目的とした業務
でなければ優秀ではないのです。


役割を優先し
目的を失った人が
いくら作業をこなしても
評価されなかったり
出世できないのは
そのためです。


「私こんなにやってるのに!」

と本人がいくら思っていても
そこに気づかない限りは
恐らくいつまで経っても
評価はされないでしょう。
出世もできないでしょう。
そして居づらくなるでしょう。
転職しても同じことです。
だから気づかない限りは
転職を繰り返すしかありません。


営業を意識した上で
役割を全うできる人が
資本主義社会の会社においては
優秀であり、評価されやすいのです。


組織を崩壊させるのも
会社を大きくさせることができるのも
営業という活動に参加できる人が
どれだけいるか?
に関わってくると思います。


ハラスメント問題の続編

こんにちは
岡田です。
以前ハラスメントに関する
記事を書きました。
どこに書いたが忘れましたが。
とにかく ○○ハラスメントが
多過ぎることを 嘆いた内容でした。
少しでも自分が気に入らないことがあれば
何でもそれにハラスメントを付ければいいってモンじゃない
と憤りに近いものを感じ
ブログに書いた気がします。
今日はその続編です。
僕も知らなかったのですが
最近は会社の帰りなどに
上司部下の関係はもちろん
同僚でも異性と一対一で
食事や飲みに誘うと
セクハラになるそうです。
世も末だと思ったのは
僕だけでしょうか?
もっと驚いたハラスメントが あります。
セカハラってご存知でしょうか?
セクハラじゃないですよ。
セカハラ。
セカンドハラスメントの略だそうです。
●●ハラスメントを受けた被害者が
誰かに相談した時にアドバイスの内容が
怒られたり無視されたりした気になることを
セカハラと言うんだそうです。
もうやめてー。
時間をとって相談を聞いてあげて
そのお返しが訴えられるって。
つまりこんな感じでしょうか?
「ねーねーちょっと聞いてくださいよ。
 ●●部長ったら私の事いやらしい目で
 毎日ジロジロ見てるんです。」
「えーっと、
 大変申し上げにくいのですが
 それは恐らく
 自意識過剰なのではないかと。」
「えーっ!なにそれ?
 セーカーハーラー!」
こんな人がいたら
僕は殺意すら覚えます。
殺意を覚えた相手が
空想の世界で良かったです。
きっと思っただけでも
なんとかハラスメントだと
言っては訴えられて
しまいそうですから。
ちなみに弁護士さんに
聞いた事があるのですが
「殺したい」
と「思うだけ」なら
罪にはならないそうです。
今のところ。。。
前々から思っていたのですが
訴えたもの勝ち的な空気が
さらに濃厚になりました。
自己中も甚だしいです。
もし本気でそんなハラスメントが
普通に訴えられる世の中になったら
本当に誰かの相談なんか
絶対にされたくないです。
目があった瞬間に
目をそらします。
飲みに誘うどころか
誰とも口をききたくありません。
その一方で
少子化が大問題とか
コミュニケーションを取るのが
昔に比べて下手になったとか
人の気持ちを汲めない人が
多くなったとか
そんなの当たり前でしょうが。
「それ、マジで言ってんすか?」
と思わずマンガのような
口調になってしまうほど
嘆かわしい世の中です。
なるべくして そういう世の中に
なっているのです。
その一方で 新型パワハラって あるのをご存知ですか?
「無理するな」 とか 「もう遅いから帰りな!」 と
上司が部下に声をかけるのが
新型パワハラと言うんだそうです。
やる気のある若者の仕事に対する
やる気をそぐからだそうです。
もうどうすりゃいいっちゅうねん。
身動き取れないですよ。
あ、でも 身動きしなけりゃしないで
無視したと言われて セカハラですからね。
呼吸しろ!
息を吸うな!
息を吐くな!
と言われている気がします。
息苦しい。
もう笑うしかないですよ。
本当に。
●●ハラスメント多過ぎです。
前にも書いた気がしますが
そのうち 何かにつけて
「●●ハラスメント!」
と言っては人を困らせる人は
「ハラスメントハラスメント」
という新種のハラスメントが
できそうですね。
誰か僕の悩みを 聞いて下さい。
無視したら訴えます(笑)

オススメの読書法

こんにちは

岡田です。

最近、読書量が完全に減りました。

30代の時はとにかく読みまくりました。

多い時で年間200冊くらい。

僕は速読が出来ないので

(色々試しましたが断念)

普通に読んで年間200冊は

まぁ多い方だと思います。

ちなみにメンタリストのDaigoさんは

1日10冊〜20冊くらい読むそうです。

1日平均15冊だとしても

年間5000冊くらい読むことに なりますね。

そこまで突き抜けると 世界は変わる気がします。

きっと読書が好きなんでしょうね。

もちろん僕も今でも 読書は好きな方です。

ただ読書が好きというよりも

厳密に言えば知らなかったことを

新たに知る喜びを感じることが

好きなんだと思います。

話は変わりますが

お陰さまで最近は

ブログを読んでいただいた方から

感想をいただけるようになりました。

「なるほど〜」

「わかりやすい。」

「腑に落ちました。」

などなど嬉しい言葉が並びます。

なぜこれらの言葉が嬉しいのか。

それは僕が一般的に難しい

と言われている内容や

誰も説明したがらない内容を

僕らしい論調で

なるべく読者の方に理解してもらえる様に

書くことを 心がけているからです。

この心がけている事に対して

読者の方が直球でその部分を

褒めてくれるから嬉しいのです。

「心がけています。」

と言うだけなら簡単ですが

では具体的には

何をしているのでしょうか?

僕の場合は 自分で書いたものを

何度も読み直します。

読み直してわかりづらかったり

もしかしたらここの部分で

誤解を招くかもしれないとか

色々考えて何度も推敲します。

厳密に数えている訳では

ありませんが、

恐らく20回以上は

読み直しては修正して

を繰り返しているでしょう。

なので1記事を完成させるのに

何時間もかかります。

何も推敲しないて書けば

10分程度で書けます。

何も推敲しないで

10分で書いた記事と

何時間も修正を重ねて

完成させた記事と

どれくらいの差があるのか?

と言われたら もしかしたら

殆ど差らしい差は

見当たらないかもしれません。

ちょっと悲しいですが・・・。

それでも僕は

丁寧に記事を書くようにしました。

その頃からでしょうか?

僕は本を読む量が 減りました。

ただし1冊を読むのに

費やす時間がとても増えました。

めちゃくちゃ丁寧に

読むようになりました。

著者が恐らく何ヶ月もかけて

仕上げた1冊の本を

2時間程度で読み飛ばしたく

ないからです。

年間何百冊も読んでいたことは

それはそれで良かったです。

ただブログの記事を

丁寧に書くようになり

本を丁寧に読むようになると

世の中も丁寧に

観察できるようになりました。

これが本を読む量を少なくして

丁寧に読むようにした

最大のメリットです。

世の中を丁寧に観察 できるようになると

問題が問題でなかったり

表面的な問題に

右往左往しなくなります。

軽々しい発言で

失言をする回数も

かなり減りました。

あと、これはあまり

言わなくてもいいことなのですが

他人の嘘がすぐにわかります。

丁寧に観察すれば

つじつまの合わないこと ばかりが

実は世の中なのです。

そこに疑いが発生し

それに対して質問をして

つじつまが合えば

自分の誤解で済みますし、

逆に何を質問しても

いつまでもつじつまが

合わないことを繰り返されると

どんどん真実から遠ざかるのが

わかります。

他人の嘘を暴く事が

本来の目的ではないので

他人の嘘などは

かなりどうでもいい話ですが

世の中の真実を

見極めるようになりたければ

その訓練の一つとして

読書をする際に

丁寧に一文字ずつ

噛みしめるように読むと

いいかもしれません。

僕はオススメします。

未来を作る教育現場

こんにちは

岡田です。

11月24日に東京都の教育委員会が

学校の水泳の授業で飛び込みを禁止する

と決定したそうです。

このニュースを見て

「危ないからこそ

 その危険性をわかる人が

 教えた方がいいのでは?」

「何でも危ないからダメ

 という理由なら

 はさみもダメ、カッターもダメ

 野球もダメと料理もダメ

 になりそう。」

といった、どちらかというと

残念に思う意見がネット上では 多かったです。

「飛び込みを禁止した方がいいのでは?」

という意見が出ること自体は

悪い事ではないと思いますが

まさかそれが決定事項として

ニュースで知らされる事に なるとは

思いもよりませんでした。

責任逃れの成れの果ては

こういう決断がまかりとおるんだな

と残念に思ったニュースでした。

教育委員会には誰も

それを本気で止める人が

いなかったのでしょうか?

「責任逃れ」や「保身」「他人事」 という

残念な概念が 僕の頭の中で飛び交いました。

子供達の教育を担っている現場、

しかも東京という日本の中心で

それが行われていると思うと

日本の将来は不安で仕方ありません。

しかしふと、我に返りました。

教育の現場というのは

何も子供に限ったことではない

と。

大人はどうなんだ?

と。

後輩や部下から 失敗をさせるチャンスを

奪っていないか?

失敗という貴重な経験は

その失敗を許す周囲や環境が

あるからこそ それは貴重な経験であり

もし許されないのであれば

それは確かに禁止するより

他にありません。

なじみのある言葉で言えば

リスクを体験させることは

そばにいる教育者も

「めんどうくさい」

ことを供にしなければ ならないのです。

さらに言えば 失敗をした場合に

教育者も場合によっては

責任を取るという

さらに面倒なことを

他人のためにしなければ ならないことも

隣合わせなのです。

そう考えると

「そりゃ禁止にした方が楽でいい!」

と落ち着くことも 自然の成り行きなのでしょう。

しかし

それは近視眼的に見れば

とても合理的で効率的 なのかもしれませんが

長い目で見たら明らかに 障害に弱く、

粘ったり頑張ったりできず、創造力のない、

そして他人を思いやる 余裕のない人間が

できあがるでしょう。

リスクがあるものは遠ざけて

臭いものには蓋をする。

教育の現場でそれが 行われる様になったら

私たちの未来はどこまでも 絶望的です。

せめて大人の世界では

リスクを負い 責任と隣り合わせで

緊張しながら 生きていくことによって

強くなり、優しい人間に なっていけると思うのです。

大人達がそんな強さ(優しさ)を

手放さなければ 絶望からは逃れられると

思うのです。

リスクを恐れず責任を取れる大人でいることが
未来に希望を持てる世界を作ることに

繋がると信じています。

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