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儲ける脳のつくり方

2017年7月のアーカイブ

新しい事ばかりに目移りしないようにするには

こんにちは

岡田です。

 

マルチタスクという言葉を

ご存知でしょうか?

 

コンピューター世代であれば

聞いたことがあると思います。

 

一つのコンピューター内で

2つ以上のプログラムを同時に

並行して行うことです。

 

転じて人間が同時にたくさんの仕事を

こなすことも意味するようです。

 

車を運転しながら

スマホをいじるのも

マルチタスクですが

法律で禁止されている上に

そもそも危険なのでやめましょう。

 

話題が思わぬ方向へ

行きそうなので戻します。

 

さて、

 

仕事をしていて

人から面白そうなアイデアや

儲け話を聞かされると、

すぐにやってみたくなり

あれもこれも手を出し過ぎて

後で収拾がつかなくなることって

ないですか?

 

マルチ過ぎるタスクに

悲鳴をあげている状態です。

 

そんな状態の人を見た時に

「またあの人の悪い癖が始まった」

と思うでしょうか?

 

それとも

「自分と一緒!」

と思うでしょうか?

 

いずれにしても

人は多かれ少なかれ

ついつい手を出したくなる

性分があると思います。

 

それではなぜ私たちはアレもコレも

手を出してしまうのでしょう?

 

少なくとも僕は

なんだかそれをやらないと

損してる気分になり

やらないといけない衝動のような

感覚に襲われるからです。

 

貧乏性なんでしょうね。

 

そして理由として

もう一つ挙げるとしたら

 

アイデアや珍しい情報を聞いた時に

ワクワクしている「今の自分」と

それを実際に作業として行う

「未来の自分」が別の人間に

なっているからなんです。

 

ワクワクした今の自分が

「うわーっ!これやってみたい!」

と思って色んな準備を整えて

いざ実際に作業をやり始めるのは

未来の自分であり

その時のワクワクは殆どの場合、

最初のワクワクよりも

エネルギーが低くなっているのです。

 

「今の自分」はやりたくて仕方がない。

当然やる気に満ちています。

 

しかし「未来の自分」は

「やらなきゃいけない」

ことが増えただけで

それをいつも繰り返されて

身動きがとれない状態に陥り

悲鳴をあげるしかない。

 

いくらワクワクしていても

それが自分の能力を超えた

膨大な量の作業が

次から次へと押し寄せて来て

後につかえていたら・・・

 

慢性的にいつもいつも

やらなきゃいけないことだらけ

になっているとしたら・・・

 

当然イヤになっちゃいますよね。

 

今の自分と未来の自分が

別の人間という感覚の僕は

未来の自分にしてみたら

今の自分に対して

「おいおい、後の事も考えてくれよ!」

「それをやる人の身にもなってくれよ!」

と言いたくなります。

 

しかし実際はその時に

そんな忠告はしてくれません。

 

そして現実問題として

未来の自分は未来において

できないものはできないと

諦めるしかないのです。

 

未来の自分はアレもコレも

やらなきゃいけないことが

たくさんあるのに

何一つできない自分に

嫌気をさすのです。

 

今の自分はそんなこと

おかまいなしに

感情の赴くままに

無責任にやりたいことを

どんどん採用してしまっている

がためにです。

 

だからと言って逆に今の自分が

 

アイデアも出さない

考える事もしない

新しい情報にも関心がない

知識を学んでも何もする気にならない

 

それでは寂しいですよね。

 

つまり未来の自分は

新しくやることがないので

 

「今、目の前にある

 一つのことに集中する!」

 

しかありません。

 

「目の前の一つのことに集中する!」

 

言葉自体は美しい響きですが

現実の仕事において

一つのことしかしない

なんてあり得ないですよね?

それは能力低すぎます。

 

それでビジネスが成り立つなんて

現実的にはあり得ない話です。

 

と、こういう話をすると

「何事もバランスが大切だよね〜」

という何の解決策にもなっていない

それらしいフレーズで

片付けがちです。

 

バランスって具体的に

どれくらいの量だったら

いいのでしょうか?

 

3つでしょうか?

5つでしょうか?

 

そもそも何と何のバランスを

取ればいいのでしょうか?

 

人はアレコレ手を出したくなり

結局何もできずに悲鳴を上げ

収拾がつかなくなる、

その一方で

一つのことだけに集中すればいい

というのも現実的ではない

 

では具体的にどれくらいの量、

アレコレやればいいのか?

 

ここまでを

まず一つの問題点として

挙げておきます。

 

長かったですが

実はもう一つ問題点を

提起したいと思います。

 

それは新しく採用したことを

どこまでやり続ければいいのか?

という問題です。

 

「何でもやってみればいいじゃん。

 ダメならすぐに止めればいいだけ。

 ダメな時にいつまでも頑固に

 固執することで他のチャンスを

 逃してしまう!」

 

そんな意見がある一方で

 

「一度始めたら最後まで諦めない!

 困難や壁はあって当然。

 それでもやり続けることが大事。

 すぐに諦めてばかりいたら

 どんなものも芽が出ない。」

 

という相反する思考は

どのように解釈したら

いいのでしょうか?

 

マルチタスクを始めて

手をつけた仕事を

永遠にやり続けたら

仕事量は無限に増え続けます。

 

減る事はありません。

全てをやり続けるのですから。

 

これも現実的ではありません。

 

最初に挙げた一つ目の問題点は

仕事量の問題

そして二つ目に挙げた

いつまでやればいいのか?

という時間軸の問題

 

この2つの問題点を

紐解いていくと

ある一つのところに

たどり着きます。

 

それは

 

やれば必ずできることを

やり切るクセをつければいい

 

ということです。

 

どんなに簡単なことでも

やり抜く力を身につけて

それを習慣にすることです。

 

後で挙げた問題点

「いつまでやればいいのか?」

を考えた時に、まず

自分が行動さえすれば

必ずできるレベルの

小さいゴールを設定します。

 

やりさえすれば必ずできる

小さいゴールです。

 

その小さいゴールに向かって

やり切ることをします。

 

その小さいゴールをクリアしたら

次の新しい小さいゴールを

設定していけば

少しずつですが必ず前進します。

 

しかし小さいゴールとは言え

あるところで必ず

「やればできる」

レベルの作業ではなくなる

壁にぶつかります。

前進することがままならない。

 

その時に止めればいいかどうかを

自分自身に聞けばいいと思うのです。

 

この時点である一定のところまで

やって来ているので

なかなか諦めたくない

気持ちが芽生えています。

続けたければ続ければいいと

思います。

 

逆に小さいゴールとは言え

一度はやり切っているので

僕は止めてもいいと思います。

 

それは同じ「諦め」でも

後悔しない諦めになると思うのです。

 

「ここまでは頑張ってみた!」と。

 

やってもいないのに諦めたり

他のやらなきゃいけないことが

たくさんあり過ぎるから

気づいたら何ヶ月も

放ったらかしだった・・・

なんてことの方が

よほど問題だと思うのです。

 

このやればできることを決めて

一度はスタートさせて

そこまでやり切ることさえすれば

 

今まで

 

アレもいいな

コレもいいな

 

と無責任に無作為に大量に

始めてしまうことも

少しずつ慎重になると思います。

 

本当に自分が少しずつでも

ある一定のところまでは

必ずできることだけを

自分の能力に合わせて

選べる様になると思うのです。

 

その量は人によって様々だと思います。

 

それはバランスなどというものではなく

人によっては相変わらず膨大な量かも

しれません。

 

なぜなら膨大な量であっても

それを少しずつでも

前に進めることができるのですから。

 

つまり能力が高い人は

量が多くてもそれらを

一定の区切りの所まで

やり切れるのです。

その人に合った仕事量です。

しかも内容が伴った前に進む仕事です。

 

逆に自分の能力が低い

と思うのであれば

もしくは実際にやってみて

やり切る力が小さいと

自覚しているのであれば

目の前にある魅力的な

アレやコレを選ぶ時点で

少ない量しか選ばないでしょう。

 

能力が低いにもかかわらず

アレもコレも採用することで

結局全てができなくなります。

 

それよりも

量的に少なくても確実に形に

していくことの方が

大切だと思います。

 

たとえ途中で諦めたとしても

自分の決めた小さいゴールは

やり切っているので達成感は残ります。

 

それがたとえビジネスとして

利益につながらなかったとしても

後悔しなくてすみます。

 

あれもこれも手を出して

大口たたいて

結局何もできなかった

それでは人に信用されません。

 

「あいつは口ばかりだ!」

 

と言われるようになり

自分は社会の役に立っていない

と悟ってしまえば

自信を喪失するまでに

そんなに多くの時間を

必要としないでしょう。

 

できることを少しずつ・・・

その量は人によって違います。

少なくてもコツコツとやっていけば

いつか社会の役に立つでしょう。

 

それが自信につながります。

 

大切なことは量よりも時間軸よりも

小さいゴールを設定して

そこまではやり切るクセをつけること。

 

そのクセさえ身につけておけば

自信を失くさなくなるでしょう。

納得できない命令とモチベーションの維持

こんにちは

岡田です。

 

海外ドラマにハマったことって

あるでしょうか?

 

僕が大学生の頃に「24」の

DVDが出て、いや当時はビデオが

主流だったような・・・^^;

 

それはさておき
キーファーサザーランド扮するところの

ジャックバウアーがテロ組織に立ち向かう

アクションドラマです。

 

一度見始めたら止められない

海外ドラマの走りの作品です。

 

ご多分に漏れず僕も

少し時期をずらしてですが

大いにハマりました。

 

その作品の中で印象的な

セリフがあります。

 

「これは命令だ!」

 

この作品に関わらず

主人公が組織に属している

海外ドラマには

頻繁に出てくるセリフです。

 

登場人物の誰か、特に主人公が

何かに対して反対意見があったり

納得がいかない時に

よく使われていました。

 

仕事場ではコミュニケーションも

もちろん大切ですが、

重大かつ緊急の案件の時は

一瞬の判断が致命的になると

上司が判断した場合は

全員の意見の調整や

部下の感情のゆらぎに付き合うなど

のんきなことはしていられません。

 

このドラマの場合

「これは命令だ!」

というシーンが出てくると

たいていの場合、主人公が

悔しい思いをするケースが

多かったです。

 

上司の命令に従ったために

結果は失敗に終わるのです。

 

ドラマを見ていて感情移入している

僕としては見ていてムカつくのです。

 

まぁ主人公の意見が正しくて

上司の判断が間違っていた方が

ドラマとしては面白いですからね。

 

感心すべきは主人公が

後からウダウダ言わないのです。

 

成功しなかった結果に対して

悔しがる事はあっても

それを命令した上司のせいにしないのです。

 

「だから反対したのに〜」

 

そんなセリフがない、

これがカッコいい。

 

テンポの早いドラマ展開なので

ネチネチと失敗したことを

コネクリ返さずに

「次どうするか?」

しか頭にないのです。

 

組織というものが何かを

わかっている人は

こういう考えができるんでしょうね。

上司の命令に従ったせいで

失敗に終わった。

それに対して上司は責任を

どうやってとるのか?

その部分がドラマとして放映されると

もしかしたら視聴者は感情的に

気持ちがいいのかもしれません。

しかし長い目で見ると

そういった部分はドラマ構成上

必要ないものとディレクターは

判断するのでしょう。

 

たとえ自分の考えでなくても

やることに対しては全力を尽くし

その結果に対しては

うまくいけば喜ぶだろうし

失敗すれば大いに悔しがる。

 

そして終わった事に

いつまでも固執しない。

 

さて、僕たちが現実の世界で

仕事をしていて

「これは命令だ!」

と言われる事が日常あるでしょうか?

 

ないとは言いませんが現実的には

そんなにはないと思います。

 

「これは命令だ!」

と言われないまでも

自分があまりしたくない仕事を

強い口調で指示されることなら

あると思います。

その場合に

「やってらんねー」

とへそを曲げる人って

多いのではないでしょうか?

 

それどころか実際言われても

意味がないと勝手に判断して

やらなかったり

場合によってはパワハラだと訴えたり

「働き方改革」などと完全に勘違いした

キーワードを盾にしたりする人が

最近は多いような風潮を感じます。

 

僕はそんな最近の風潮を見て

本当に本当にそれで大丈夫?

と思うのです。

 

本当にそれでいい?

心の底からそれでいいと言い切れる?

と。

 

どこまで平和ボケしていて

どこまで甘いんだろうか?と。

「やってらんねー」

って子供の言うセリフなのでは?

 

しのごの言ってないでやれ!

(これは命令だ!)

 

と言われた時に

しのごの言わずにやる人が

どれだけいるでしょうか?

 

したくない作業はしない。

臭いものには蓋をする。

責任は全て上司におしつける。

仕事は不完全、言い訳は完璧。

 

成長できるポイントが見当たりません。

 

納得がいかないことでもやってみる

そんな経験をする人が極端に

減った気がします。

 

自分がしたいことしかやらない

甘くおめでたい人たちが

増えているのが現状です。

 

しかし本当にやりたくないことを

いつまでも続けているのも

自分の人生において

本当にそれでいいのか?

と問われればそれも確かに

NOだと言えるでしょう。

そんなことをするために

生まれてきたんじゃない。

自分の人生を楽しむために

生まれてきた!

そう考えるのが自然です。

 

やりたいことだけを懸命にやった方が

成果もでやすいでしょうし

生きていて楽しいです。

 人生一回しかないのですから。

それができればそれに

越した事はありません。

 

しかし現実を直視すれば

部下を教育する上司の立場として

厳しい事を言ったり

叱ったりするとヘソを曲げるし

自由を与えたり
甘やかしたら成長につながらない


それが教育現場の悩みどころの

一つではないでしょうか?

 

逆に部下の立場としては

納得のいかないことも

作業としてやらなきゃいけないことも

本当は理解できる。

誰かがやらなきゃいけない。

 

しかしそれをいつまでも

続けてられないし

そんなことしても

ムダだとわかっていたら

余計にやる意味がないし

どうしたってやる気がでない。

 

当然、

結果がうまくい可能性も少ない。

 

この手の問題になると

モチベーションをどうやって

あげたらいいのか?

 

という話題になりがちです。

 

自分自身のモチベーションはもとより

部下(他人)のモチベーションを

どうやったらあげる事ができるのか?

どう教育したらいいのか?

 

そんな話題がよく起こります。

 

しかしモチベーションとは
周囲の気遣いによって
あげられるのではなく
本来、勝手にあがるものです。

だから上司が部下に対してあれこれ

お膳立てする必要などないのです。

ただ単に部下を信じて

「お前の好きな様にやれ!」

これが理想なのです。

理想とわかっていても
なぜ上司は大きな心をもって
これが言えないのか?

それは寝食を忘れて一心不乱に

撃ち込めるものが見つかっていない

若者(今は若者とも限らない人)に対して

自由を与えても

「何もしない」

いや

「何もできない」

からなのです。

働くということに対して

本当の喜びがわからないのです。

働きたくても働けないのです。

 

さて皆さんはどうしたらいいと思いますか?

 

僕は「仕事において」

という条件が付きますが

この問題に対して

僕なりの答えがいくつか用意してあります。

 

その一つは理念の共有です。

いわゆる企業理念ですが

これが組織全体に共有されるだけで

「手段の反対意見」
は理念がない時よりも

大きな問題に発展することは

少なくなります。

 

理念がないと、もしくは

理念が共有されていないと

目の前の仕事(手段)だけの
善し悪しに重点が置かれます。

 

共通の目的がないと

本当にただのやりたくない

仕事(手段)でしかなくなるのです。

 

たとえば企業理念が目的地で

仕事は交通手段だとしましょう。

 

電車は好きだけど
飛行機が嫌いな人が

飛行機に乗る事を強要されたら

それはイヤな仕事です。

 

イヤでイヤで仕方のない

飛行機に乗り続けるのは

苦痛でしかありません。

 

しかしここで企業理念という

共通の目的地が設定されると

その目的地に行く為には

最初はイヤな手段だと思っていても

その手段を採用してもいいと

納得してしまうこともあるのです。

目的地に着いてしまえば
苦痛だった飛行機移動も
未来においては笑い話になったり

いろんな気付きを与えてくれたり

何かのきっかけで好きになったりするのです。

ただの食わず嫌いかもしれません。

 

それが目的地もなく

ただ単に手段自体が

イヤなものであれば

それは単にイヤな作業なのです。

 

ましてや目的地が反対方向で

交通手段も自分にとってイヤな

飛行機となると

やればやるほど目的地から遠ざかる。

何の為に何をやってるのか

まったく理解できません。

納得などできるはずがないのです。

しかしだからと言って
電車なら乗りたいから
電車に乗ったとしても
反対方向に向かって行けば
乗れば乗るほど
(仕事をすればするほど)
目的地には遠くなります。

 

企業理念が大切だと言われるのは

そういう理由もあるのです。

企業理念を飾り物として

額縁に入れて掲げておいても

意味がありません。

共有しましょう。

たとえ一人で仕事をしている人であっても

目の前の仕事がツラくなった時に

理念を確認し続けることで

乗り越えやすくなります。

企業理念がない会社はすぐに

作りましょう。

すでにある会社は

それを全員で共有しましょう。

確認しましょう。

 

そして個人的には企業理念より

さらに大切な考え方があるのです。

 

その考え方を持つ様になってから

僕はもし上司に

「これは命令だ!」

と言われても

ドラマの主人公のように

行動にすぐに移ることができます。

 

しかも成長を伴いながら。

 

そしてサラリーマン時代

自分の部下たちにも

実際その方法を伝えてきました。

 

企業理念よりも大切だと

個人的には思うもの。

 

それを理解できた部下たちは

成長も著しく、

そしてつまらないことでヘソを曲げたり

退職をちらつかせるような

ことはしなくなりました。

 

成果をあげることへの姿勢や努力も

明らかに違ってきました。

 

その部下たちに伝えた考え方を

次回のセミナーで

お伝えしたいと思います。

 

部下の教育に悩まれている方に

どのような基準で厳しくすればいいのか?

 

そしてこれは上司はもちろん

逆に部下の立場の人や

一人で仕事をされている人にも

聞いてもらいたいです。


自分の成長に対して

自分のやりたいことだけで

本当にいいのだろうか?

 

したくないことをどういう基準でやって

どういう基準でやらなくていいのか?

自分は今の仕事を本当に続けていいのだろうか?

 

その辺の答えが見えてくるセミナーです。

あくまで僕がやってきたことですが

参考になると思います。

興味のある方はぜひお越し下さい。

http://okada-koji.com/seminars/cat333/61.html

 

人の心を操る

こんにちは

岡田です。

かなり昔の話ですが
僕が営業の現場で

売りまくっていた現役時代に

とあることを言われたのを

思い出しました。

「売れてる営業の人って

 何かこう知らないうちに

 人の心を操って
 誘導しているようで怖い。

 自分の感情や気持ちを変えられて

 洗脳されちゃうみたいな。

 そういうのってちょっと・・・」

と、こんな内容のことを

言われた記憶があります。

今でもたまにそれに近い事を

言われたりします。

先入観からなのか

営業マンって

人の思考を操ろうとしている

そこまで言わないまでも

絶対どこか意図するところに

上手に話を持っていっている・・・

そんな内容を若干、

悪意を持って言われました。

人を悪魔のような扱いをしたので

いつまでも記憶に残っています。

最初は

「そんなことないよ。」

と否定したい気持ちもあったのですが・・・

正直に言いました。

「僕は人を僕の意図する方向へ

 誘導しようとしてるよ。」

と。

「ひどーい!」

「こわーい!」

「ダメだよ〜そんなの〜」

「そこまでして売りたいの?」

と言われました。

そうですけど、

それのどこが「ひどい」のか

理由を知りたいです。

買いたくない人に買ってもらえる様に

興味がない人に興味を持ってもらえる様に

言葉たくみに話すことが

そんなにいけないことなのでしょうか?

それをするから営業の役目を

果たしてる気がするんですが。

僕が思うに・・・

既に買いたいと思ってる人に

買うように促したり

既に興味がある人に

興味を持つようにする、

そんな営業マンこそ

余計なお世話じゃないですか?

しつこいし、くどいだけです。

お客さんからしてみたら

「いや、だから買うって言ってるんですけど・・・」

と。

自動販売機で気に入ったジュースを

買おうと思っているところに

突然営業マンがやってきて

「このジュース良いですよ!」

と力説されてるようなものです。

お客さんにしてみたら

「は、はぁ・・・。」

「あ、そうですか、どうも。」

と言って買うかもしれません。

かなり稀なケースですが、

「じゃぁ止めた!」

となるかもしれません。

いずれにしても

この会話は誰に何のメリットが

あるのでしょう?

買いたいと思っていない人に

買いたいと思ってもらえるようにするのが

営業マンの仕事であり

営業マンとしての存在意義が

あると思うのです。

「買ってもらいたいがために

 言葉たくみに営業かけて

 相手の気持ちを変えさせるなんて
 人としてどうかと思う!」

そういう意見の人が言いたいことは

おそらく

「自分で判断するから放っておいて!」

ということなのでしょう。

もちろんその通りですし

僕もそうしたいです。

僕が言いたいのは営業の仕事とは

その最終的に自分で判断する材料を
伝えることあり

できればその判断は

僕が意図するところに

落ち着いてくれたら嬉しい

という自然な行為なのです。

それがダメという人は

もしビジネスをするとしたら

商品に関する何の説明文も魅力も書かずに

値段だけ書いて並べておけば売れる

と言ってるようなものです。

店頭にただ商品を並べておけば

買いたい人が勝手に

買って行くんだから

望んでもいないのに話しかけるな!

と言っているのです。


しかしそれって実は

会話自体も否定している気がするのです。

もし人類が全員同じ価値観で

同じ意見だったら

会話のコミュニケーションが

なくなると思うのです。

たとえば映画を観て

面白いね、楽しいね、感動するね

というコミュニケーションは

「同じ意見」の確認作業ですよね。

しかしこの共感という
コミュニケーションは

人は全てが同じ価値観や意見や思想を

持っていないことが
前提で起きるのです。

人は決して同じではない。

それが前提にあるからこそ

同じ映画をみて
同じ感情に襲われた時に

「そうだよね!」

というコミュニケーションに

「気持ち良さ」
が芽生えるのです。

全人類の価値観、意見、思想が
寸分の違いもなければ
「同じ感情を持って嬉しい!」

こと自体が起きないのです。

わかります?

自分と全く同じ感情を持った

コピーロボットしかこの世に

存在しなかったとしたら

そのロボット相手に

「おーっ!気が合うね!」

というコミュニケーションは

成り立たないということです。

人は一人として同じではない。

違うからこそ

自分の意見や感情と同じになることを

心のどこかで望んでいる。

その気持ちは会話の多くに

起きているのです。

宗教の教えも

「こういう思想を持ちませんか?」

という表現ですが、それは

人は違う思想を持っていることが

前提なんです。

宗教のような大きな話ではなく

日常的なことでも言えます。

パスタを食べたいと言っている人に

今日はカツ丼を食べたいと

思ってる人が一緒にいるとします。

その後、2人の間で

どのような会話が交されたとしても

それは

「私の意見を認めて欲しい。

 できれば私の意見に考えを変えて

 私が欲する食べ物を

 私と一緒に食べて欲しい。」

という願いが根本にあるのです。

お互いの主張が会話になっているのです。

パスタを食べたい人は

パスタを食べたい理由を言うでしょう。

それはカツ丼を食べたい人に

パスタを一緒に食べてもらいたい

つまり意見を変えてもらいたいからです。

逆もしかりです。

人は誰一人として同じではない。

だから人生のほとんどが

その違った意見を

「変えて欲しい」

目的のために会話をするのです。

たまたま同じ意見の時は

共感するために会話があるのです。

主張が激しければその会話は

論争と呼ぶかもしれません。

もし別れてバラバラのお店に

行ったとしたら

それは論争を回避して

意見をお互い変えなかっただけです。

それを営業活動に置き換えたら

買ってもらえなかった

というだけです。

「今、パスタを食べたい」

その理由やメリットを伝えるのは

相手に意見を変えてもらいたいから。

どんな時も最初から意見を言わずに

「それぞれ違う店に行けばいい」

そんな意見の持ち主たちに
会話の必要性がありません。

たとえ最初からそれぞれ

違う店に行く事自体が

同じ考えであったとして

その後に

「また後でね!」

という次の会話は

「また後で会おうね!」

というその人の望みであって

一方の人は会いたくないのかもしれません。

つまり会話とはどこまでも

違うかもしれない意見を

同じ意見にして欲しい

確認作業なのです。

自分が望むことを相手に求める・・・

会話とはその要素が

どこかに潜んでいて

それがダメとか悪いとか

ましてや「ひどい」とか

言われることの

意味がよくわからないです。

違う意見を同じ意見に変えようと試みる。

買いたくない(という意見の)人を

買いたいよう(売り手の思う意見)にする。

価値観が激しく違えば

論争になることもあるし

意見を変えることで
賛同することもあるでしょう。

最初から同じ価値観のときは

認め合って喜び合うでしょう。

最終的に意見が違うままなら

買わないでお互いの道をそれぞれ

歩くだけのことです。

会話の後にその結果になった。

ただそれだけのことです。

それが「ダメ」とか「ひどい」と言うなら

会話やコミュニケーションを

否定されてるようなものですし、

もっと言ったら

その「ダメ」とか

「ひどい」という意見は

僕の気持ちを変えさせようとしている

行為なのでは?

と思ったりもするのです。

営業マンがお客さんに

気持ちを変えてもらうように

する会話は人としてダメで

その人が営業マンに

そんなことはしないように

気持ちを変えてもらうように

する会話は人として正しい

論理が破綻していると

思うのは僕だけでしょうか?

人はそれぞれ違うからこそ
会話をするし

同じ意見を求めるのです。

違う意見の持ち主を脅したり

ロープで縛って無理強いしたり

嫌がっているのに会話を続けるのは

たしかに「ひどい」と思いますが、

違う意見を同じ意見にしようとする

それは日常よくある会話に過ぎないと

思います。

それを

「人の心を操る」

という表現であるなら

会話とはそういうものなのでしょう。

僕は生きてる限り

会話を続けるつもりなので

それがひどいというのであれば

僕はひどい人でかまわないです。

相手の意見を自分と同じように
変えてもらいたいと試みる行為を

「ダメ」とか「ひどい」とか言う人に

冷静さを取り戻して考えてみて欲しいです。

「ダメだからその考え方はやめなよ!」

と自分の価値観を主張する行為そのものは

相手に意見を変えて欲しいからなのでは?

不可抗力による障害からの学び

こんにちは
岡田です。

先日セミナーを開催させていただきました。
たくさんの方に参加していただいたのですが
その日は台風で
特にセミナー終了時間は
降雨量も風もマックスで
道路が川状態でした。

懇親会会場に向かう人も
帰宅のために駅に向かう人も
ビショビショに濡れてしまい
僕が悪いわけではないのですが
本当に申し訳ない気持ちになりました。

セミナーが始まる頃は
そんなに降っていなかったのですが
途中でとんでもないことに
なっていたことは
屋内にいてもわかりました。

このようないわゆる
不可抗力的な障害というのは
気持ち的には


「やってらんねーよ」
「普段の行いが悪いのか?」


とついついネガティブな
思考に陥りがちです。

参加してくださった方たちが

「こんなズブ濡れになるなら
 セミナーなんてもう行きたくない!」

そういうイメージが
刷り込まれたら嫌だなぁと。

しかし
これは何も僕に限ったことではなく
僕よりその影響を大きく受ける
イベントなどをしている人は
もっと大変だろうなぁと
思うようにしました。

屋外イベントをしている人などは
天候はもろに左右されるだろうし
たとえ雨が降らなくて良い天気でも
暑過ぎるなどの逆の問題も
起きたりするでしょう。

「二度と行きたくない!」


と思われてしまうことが
自分がコントロールできる範囲外で
起きてしまう・・・

屋内でセミナーをしている僕は
まだ恵まれている方だと。

しかし
僕がそう思うようにしたところで
参加してくださった方たちにとって


「不快な思い」


をすることには変わりません。

さて、どうしたものか。

僕はセミナー中に参加者たちが
これから起こるであろう


「不快な思い」


を少しでも軽減できることは何だろう?
と考えてみました。

天候という自然の大きな力に
逆らう事はできません。

それだったらそれを受け入れて
今自分ができることを
精一杯やるしかない
と思うようにしました。

事前に準備していたセミナーの内容は
時間の関係もあって
いろいろ省かなければならない部分が
あったのですが
どうにか時間を調整して
その部分も話すことにしました。

それが台風の中
わざわざ濡れるのを覚悟して
参加してくれた人への
恩返しになるのであればと。

これは正直冒険でした。

多く話すことで
余計に話しがややこしくなり
混乱する場合もありますし
時間通りに終わらず
中途半端にセミナーを
終了させなければならない
リスクも出てきたりします。

しかし火事場の底力というように
人間は窮地に陥ると
実力以上の力を発揮するもので、
おかげさまで混乱を招くことなく
自分が泣く泣く省こうと思っていた
部分まできっちり話すことができました。

そしてセミナー終了後に
提出していただいた感想も
いつも以上にたくさんの高評価を
いたたくことができました。

これは暴風雨が起きなければ
逆に諦めていたことです。

不可抗力による悪影響を
悪影響のままにするか
今置かれた環境の中で
できることを精一杯やるか

言うまでもなく後者を選んで
良かったと思いました。

正直な気持ちを言うと
最初は


「お客さんを逃したくない」


という気持ちで
ある種の恐怖から逃れるために
頑張ったことなのかもしれません。

しかし頑張った結果は
お客さんが来なくなるかもしれないとか
そういう気持ちは不思議と消えていて
すがすがしい気持ちで
終える事ができました。

「お客さんのため」

と自分に言い聞かせながらも
本当は自分のために
頑張ったのかもしれません。

しかし結果はそれで良かったと
思っています。

できることはしたし
本当は大義のためではなく
自分の不安を払しょくするために
やったことであっても
結果オーライであればそれで
いいんじゃないかと。

そんな風に思いながら
懇親会のお店に移動しました。

お店に入った瞬間、
お店のオーナーが
最初に言った一言は

「岡田さん
 もーーーしわけございません。
 雨の中、本当にありがとうございます!」

と。

「もーーーしわけございません。」

謝ることなんて何一つないのに
妙にその気持ちがわかりました。

そしてその挨拶と同時に
タオルを差し出してくれました。

僕はその行為だけで
彼の気持ちが痛いほどわかりました。

ビジネスを真剣にしている人は
みんなそんな気持ちでやってるんだなと。

懇親会に参加された方は
オーナーのその挨拶とタオルを
みんな等しく受けていると思います。

僕と同じ感覚を持たれた方は
多いのではないでしょうか?

台風の中、強風の中
濡れて嫌な思いをしたという
事実を変えることはできませんが
その嫌な経験の中にこそ
普段では気付かない何かを
感じ取ってくれた方が
一人でも多くいてくれたら
嬉しく思います。

参加してくださった方へ
本当に感謝します。
ありがとうございました。

p.s.
懇親会も普段できない話が飛び交い
いつも以上に面白かったです。
ありがとうございました。

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