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「営業マンが地球を救う」の記事一覧

営業マンが地球を救う

今日は多くの人から反感を
買いそうな内容です。
書かなきゃいいのに
と思いながら書いてみました。

たぶん多くの人が怒るでしょう^^;
でもお願いだからもし怒るなら
怒る前にちゃんと読んで欲しいです。

怒るかもしれないと思うのは
それは誤解を招く箇所が
いくつかあるとわかっているから。

だからもし読んでもらえるなら
丁寧に読んで欲しいです。

さて、

営業や販売という仕事は
お客さんと接する機会が
他の職種に比べて多いと思います。

なので必然的にコミュニケーション
能力を高める事を求められます。

仕事に関わらず
人間は生きていく上で
他の人とコミュニケーションを
取らずに生きていくのは
現実的ではありません。

それにそんなことしたら恐らく
とても「生きづらい」と思います。

僕自身も含めて
このコミュニケーションを
上手にとれない人が最近
増えてきている気がします。

僕は先ほど、ふと
「何でだろう?」
と思っていろいろ調べてみました。

調べるといっても
ネットサーフィン程度なので
何の根拠もありません。

根拠はありませんが
仮説をたてて検証することに
意味があると思っておりますので
最後までお付き合いください。

ネット上では

コミュニケーション不足の時代に
突入した原因は

「テレビゲームがそれを助長させた」
「核家族化が・・・」
「インターネットの普及が・・・」

みたいなことが多く並べられていました。

確かに主だった原因は
それらのような気がします。

でも僕は思うことがあって
違うところから仮説を
立ててみました。

キーワードは
「ストレス社会」
です。

僕はストレス社会を生き抜くには
目の前のストレスを
一つずつ片付けるしかない
と思っています。

あくまで僕個人の意見です。

ストレスって普通に考えると
イヤですよね。
自分の思い通りにならない
ことですから。

ただ、どうなんでしょう?
ストレスの全くない人生って。

人生って「経験」の集合体
じゃないですか。
つまり人生とは「経験」そのもの。

いろんな経験があるから楽しい。
充実した人生を歩める。

それなのに偏った経験しか
できなかったらどうでしょう?

その時は
「ストレスがなくていい!」
と思うかもしれません。

でも人生全般で考えると
とてももったいない人生だと
思うのです。

自分にとって都合のいいことしか
起きない人生。
それって、本当に楽しいのだろうか?

ストレスそのものの善悪を問えば
そりゃ、その瞬間は悪です。

でも人生全般で考えたらストレスは
必要な「要素の一つ」と
僕は思うのです。

目の前のストレスを一つずつ
乗り越えていく事で
人は成長を手に入れ
達成感を味わうことができる

これ、考え方として
変でしょうか?

逆にストレスが全くないところで
何かを達成できたとしても
それが本当に成長したことに
なるのでしょうか?

ストレスを「イヤだなぁ」と思わずに
「楽しんで」乗り越える

そんな人生を送る事ができるのは
目の前にストレスがあるからこそ
なんです。

ストレスと言えば
次に思いついたのが
「ハラスメント」
という言葉でした。

特にサラリーマンや
立場の弱い人には
なじみのある言葉だと思います。

またネットで調べていて
驚愕したことがあります。

あなたは「ハラスメント」と聞いて
思いつくハラスメントは
何がありますか?

パワハラ、セクハラ・・・
僕はこの二つしか思いつきませんでした。

ところで

googleやYahoo!で
文字を入力すると自動的に
頻繁に検索される候補が
出てきますよね?
わかります?

googleで「ハラスメント」の
ことについて調べようと
文字を入力しました。

すると、一番上に
「ハラスメント 種類」
と自動的に出てきました。

「みんなそんなにハラスメントの
 種類について調べてるんだ?」

と思いながら
一番上をクリックしてみました。

そこにはハラスメントの種類が
出てくる出てくる。

驚きました。

僕が見たサイトには
ハラスメントの種類が
30種類くらい掲載されていました。

「そんなにあるの?」

とその数の多さにも驚きましたが
中身の方が驚きです。

例えば

アカハラってご存知でしたか?

アカデミックハラスメントの略
だそうです。
先生がその地位を利用して
生徒に嫌がらせなどをする
ことを意味するそうです。

確かに文面だけ読めば
悪いことです。
そんなことは重々わかっています。

でも例として

授業中生徒が居眠りをしていて
それを注意して立たせたりとか
「教室から出て行け!」
と言ったらそれでアカハラだそうです。

もっとすごいのがあります。

友達に血液型を聞く、
誰でもそんな経験は
あると思います。
しかも一度や二度じゃないかと。

その友達がA型だったとします。

「へー、A型なんだ。几帳面なんだね。」

これで相手がイヤな想いをした
と判断したらそれは
ブラッドタイプ・ハラスメント
と言うそうです。

略してブラハラ。

アホか?
というか大丈夫か?
日本の将来が心配になってきました^^;

何でもかんでもハラスメントに
名前を付けて
ちょっと嫌な想いをした時点で
すぐに○○ハラスメント。

「それは男女雇用機会均等法に触れます。」
「それは迷惑防止条例の・・・」

法律を盾に

「私が正しい。あなたが悪い。」

もちろんその通りです。
ハラスメントをする方が
悪いのです。

しかしです。

相手が悪いかどうかよりも
もっと大切なことは

あなたはそれで本当に
いいんですか?

ということです。

相手が悪いから
何でもかんでもすぐに
法律に守ってもらう。

ストレスを法や規制
で回避する仕組みを作り上げ
ストレスのない社会で
ぬくぬくと人生を送る。

そして次のストレスが出てきたら
すぐに法と規制を整備し
それに依存する・・・

ストレス排除し、
守られているようで、
実はどんどん生きづらい世の中を
自分たちで作り上げている
気がします。

ネットで調べていると

○○ハラスメントとは
○○においてその地位や権力を利用して
その人が断れない状況や
支配下におくことで精神的に追い込む

要約するとそんな感じのことが
書いてあります。

これらから守るために
法治国家において
法や規制を闇雲に増やすことで
確かに精神的被害を受けずに
誰の支配下にもならない

つまりストレスから解放され
誰もが生きやすい人生を
送る事ができることになるでしょう。

素晴らしいことです。
表面的にその瞬間は
それで守られたことになるでしょう。

一方で

授業中居眠りをしても
誰にも叱ってもらえない

血液型を聞いて友達に
「几帳面なんだね」
とすら何気なく言えない社会を
淡々と作りあげているのです。

そんな世の中の
どこが生きやすいのでしょうか?

誰にも支配されず束縛もされない
安心を手に入れると同時に
法律や規制にがんじがらめに
束縛され、支配されるのです。

こんなことを繰り返していたら
誰にも何も言えなくなる時代が
来そうです。

思わず他人を傷つけてしまうこと
それらの失敗をして
そこで謝ったり関係を
修復することを覚えたりするのが
人間の成長につながるのに。

でもそのたった一回の失敗も
許されないまま
法や規則がどんどん増えていく。

自分の身を守る唯一の方法は

誰ともコミュニケーションを
とらないこと。
もう誰とも口をきかないこと。
目も合わせない事。
特に異性とは関わりを持たない事。

それが一番自分を守る事になる。

このままではそんな時代が
すぐにやってくるでしょう。

とてもとても長い前置きでしたが

コミュニケーション能力が
低い人が増えてしまったのは

ストレスを排除し、
人間関係の善悪を法律に
委ね過ぎているからなのでは?

という仮説です。

誤解がないように何度も言いますが
ハラスメントをする側(加害者)を
肯定しているわけではありません。

もちろん被害者を否定しているわけでも
ありません。

ハラスメントそのものは
いけないことだと思いますし
被害者は気の毒だと思います。

しかし

目の前の事象にとらわれて
何でもかんでもつぎはぎのように
短絡的に規制を作り続けていては
本当に生きづらい人生が
待っている気がします。
というかすでにそう感じている
人もいるのではないでしょうか?

それよりも本質を見極めた方が
潤いのある人生を
送れるんじゃないかなぁ
と思ったのでした。

この場合の本質ってなんだろう?

僕はそれにはやはり
仮説で見当をつけたように
コミュニケーション能力を
高めることだと思います。

ハラスメントにしても
ストレスにしても
コミュニケーション不足
によって招いた誤解が
原因になっていることが多いのでは?

もし双方のうちどちらか一方に
たとえ悪意があったとしても
僕はそれはそれで
一つの乗り越える経験が
来るべきときに来たと思って、
果敢にそのストレスと向き合い
挑んでみる価値はあると思うのです。

しつこいですが、善悪ではないですよ。
上司がどう考えても悪い、
いやがらせをする異性が悪い、
そうなのかもしれません。

でも世の中って上司や親、
友達や恋人だけじゃないはずです。

それらの狭い世界から
広い世間に一歩踏み出せば
どうにもならない人や事って
たくさんあると思うのです。

それらストレスの連続が
誰にでも向かってきます。

それが人生です。

それをなんとかして乗り越えて
生きていくのが人生です。

身近な人がハラスメントを
してくるとしたら、それは

それを乗り越える練習ができる
身近にいる人が悪役になってくれて
試してくれている

そう考えればこの困難を乗り越える
チャンスでもあるわけです。

そのチャンスを放棄して
連続してやってくるストレスを
常に
「法律さん!あとはよろしく~」
と逃げて回っていたら
どうなるでしょう?

それはいつしかクセになり
大してストレスにもなっていないのに
友達から
「几帳面だね」
と言われただけで、

「はい、傷ついた。
 それはブラハラだね。
 君は犯罪者」

などと勝ち誇った顔で
自分のストレスを排除しようとします。

事実そういう人がすでに
出始めているのを否定できません。

僕はそのうち

法律という正義を盾に
「それは○○ハラスメント!」
と相手に言う事によって
言われた方が脅迫観念に襲われて
それは
「法律ハラスメントです。」
と逆に言い返されるような
笑い話にもならない
「目には目を」の茶番劇が
始まるような気がします。

もちろん何度も言いますが
本当に困っている人にとっては
それらの法律や規制はとても
大切だと思います。

法律なんて必要ないのか?
と問われれば最低限のものは
必要だと思います。

法律や規制によって
守らなければならないものって
あると思います。

決してそういう弱者を見捨てて
無責任な発言をしているわけでは
ありません。

ただ行き過ぎた規制に
実はそろそろみんな辟易
してるんじゃないか?

と感じているんです。

じゃぁどうしたらいいの?

と考えたときに
やはり本質を探ることから
始めるのがいいと思うのです。

先にも述べましたが
この場合の本質とはやはり
コミュニケーションであり、

コミュニケーション能力を
高めることが一つの解決策に
なると信じています。

なぜなら

善意の人と善意の人が衝突したとき、
価値観の違いによって
どうにもならなくなった時に
善悪の尺度として
照らし合わせるのが
あくまで法律の存在意義であって

最初から法律ありきで法律の枠の中で
生きなければならない
というのは人間が人間の手によって
生きづらくしているだけだし

逆に法律がないところでも
コミュニケーションによって
お互いが相手を思いやり
解決に向かう歩み寄りができれば
そこに法律や規制など必要ないと
僕は思うからです。

いやいや、
それはきれいごとだよ。
確かに理想的かもしれないけど
現実問題、コミュニケーションだけでは
どうにもならずに
本当に困っている人も多い、
それは現実的な解決方法じゃないよ!

という人もいるかもしれません。

でも法律を増やし続ける事が
果たして現実的なのでしょうか?

僕はそっちの方がまったく
現実的ではないと思います。

全ての行為に対して
法律で善悪を決めるとしたら
何億、何十億、何百億通りもの
法律が必要になります。

もしそれができたとしても
そんなの誰かが作った
法律のために生きる人生でしか
ありません。

そんな規制の中で生きるために
ぼくたちはこの世に
生を授かったのでしょうか?

ハードルは高いかもしれませんが
みんながコミュニケーション能力を
積極的に高めていくことが
この増え過ぎた法律や規則
という長くて暗いトンネルから
抜け出せる光だと思います。

そしてその行き着く先は
相手を思いやる優しさ
すなわちそれが「強さ」になると
信じています。

法律ありきで強さや勝ち負けを
決めるのは僕はどこが違和感を
感じます。

コミュニケーション能力を
高める事を求められる営業マンは
相手を思いやる優しさや強さを
身につけることができる人間であり
その先導役になれるのではないか?

営業マンが地球を救う

大げさに書いてしまいましたが
そんな世の中になったらいいなぁと
感じた夏の終わりでした。

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