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儲ける脳のつくり方

空気読めない営業への対応

こんにちは。

岡田です。

 

先日とある携帯ショップに行きました。

携帯ショップに行く時って

どんな気持ちで行きますか?

 

僕は過去にたぶん10回以上は

行った事があると思いますが

そのほとんどが

ワクワクした気持ちではありません。

 

どちらかというと

「仕方なく」

行くことが多いです。

 

壊れたとか使えなくなったとか

不都合に気付いてしまったとか

自分だけではどうにも

解決できない問題が発生したために

行く事が殆どです。

 

僕だけでなく

携帯ショップに行く時に

「はぁ(溜息)。。。

 今日携帯ショップに行かなきゃ

 いけないんだよねー。」

とネガティブ感いっぱいに

話す人が僕の周りには多いです。

 

そして本来ワクワクするであろう

新機種への買い替えという

数少ない訪問時ですら

個人的にはあまりワクワクしません。

 

その原因の一つに

待ち時間の問題があります。

どんだけ待たせるんだよと。

 

決めつけて世の中を見ることは

よくないと思いつつも

携帯ショップにいるお客さんで

楽しそうにしている人を

あまり見たことがありません。

 

学生が入学祝いに

初めて携帯電話を買ってもらえる

その時期以外は

どちらかというと

店内はイライラしている人の方が

多くいるように感じます。

 

すみません。

偏見だったらホントすみません。

 

店員さんとお客さんとの会話も

 

「だからさぁーーーっ」

「じゃぁ我慢するしかないわけ?」

「さっきから何度も言ってるけど・・・」

「そんなこと契約する時に・・・」

「みんなそれで納得してるの?」

「安くなるって聞いたから替えたのに」

 

そんなニュアンスが散りばめられた

会話が否応なく耳に入ってきます。

 

これは僕がそう感じるというより

恐らく店員さんの方が

実感されてると思うのです。

 

「この仕事をうまくやるコツは

 お客さんをどれだけなだめられるか・・・」

 

そんな裏事情が聞こえてきそうです。

つまり怒られる事が前提であると。

 

「契約書に書いてあるじゃん。

 ちゃんと読めよ!」

「売る時に全部を説明するなんて

 できるわけないじゃん。」

「しらねーよ。

 私が売ったんじゃないし。」

「嫌なら解約すればいいじゃん。

 違約金かかるけど。」

 

そんな声にならない店員さんの不満を

肌で感じることができる店内は

ギスギスと音が聞こえてきそうです。

 

お客さんにとっても

店員さんにとっても

当然居心地がよくありません。

 

そんな空間に居心地の良さを

演出するために

テレビを置いたり、

お茶や珈琲の無料サービスがあったり

雑誌が置いてあったり

子供の遊び場まで

設けてあるお店もあります。

 

そのサービス自体は否定しませんが

僕の心の声は
どこかの国会議員さんみたいに

「そうじゃないっ!」

「ちーがーうーだーろーっ」

と叫んでいます。

 

さて、

ご存知のように携帯ショップというのは

携帯キャリア(docomo、au、softbank)が

直営で運営している店は殆どありません。

 

地元の企業がdocomoやau、

softbankの看板を掲げて

運営していることが多いです。

 

だから携帯キャリアの根本的な問題を

その地元企業が解決することが

なかなかできないのが現状です。

 

だからと言ってお客さんには

そんなこと関係ありません。

そこの企業努力を怠っていい

理由にはなりません。

 

その一方で

 

携帯ショップという業態が

そんな過酷な状況でも

それを運営する企業は

企業である以上

利益を出していかなければなりません。

 

イライラを前提に訪問しているお客さんが

長い間待たされて

さらにイライラが増している、

そんな状況の中で

何かしら利益を出さなければならないのです。

 

僕が店に行った時、

「去年まで学生やってました!」

といった若い子がカタログを持って

片っ端からお客さんに

声をかけていました。

 

恐らく待ち時間を利用して

何かを買ってください

という営業活動です。

 

その新人さんの後ろには

お局的な存在の先輩が

怖い目で新人さんの

営業活動を見張っています。

 

あ、いや、

温かい目で営業活動を

見守っています。

 

イライラしている僕の所にも

順番が回ってきました。

僕は思わず

「おいおい、チャレンジャーだな」

と心の中でつぶやきました。

 

新人の彼女は上司が後ろにいるので

逃げられません。

やるしかないのです。

 

僕は無視したら楽だよなぁとも思い

聞こえないふりでもするか
それとも

適当に首だけ振り続けようか

それとも
若い子が頑張ってることだし

話を丁寧に聞いてあげようか

色々と悩みました。

 

実際悩んだのは1秒くらいだと思いますが。

 

もしそういった状況に居合わせたら

どうされますか?

 

もちろん正解はありません。

ご自分だったらどうするかを

ちょっと考えてみてください。

 

僕が1秒後に出した答えは

「迷惑そうに聞く」

です。

 

彼女を無視したり

その場から離れたり

瞬時にシャットアウトするのが

たぶん僕にとっては一番ラクです。

そうすることが彼女やその会社にとって

いいことなのかもしれません。

 

この状況じゃ何言われても買わねーよ!

としっかり伝えることも

重要な役割だと思います。

それがお客さんの本音なのですから。

 

でも営業活動それ自体を

切り取って考えると

決して悪い事ではありません。

 

シャットアウトすることは

僕にとっても可能性を

閉ざすことでもあります。

 

何かを売ろうとする環境が

彼女にとっても

お客さんである僕にとっても

あまり芳しくないという状況なだけです。

 

僕は小さい頃から母親に

「人に迷惑をかけてはいけない」

と育てられてきました。

 

だからと言って

僕は過去に人に迷惑を

かけたことが一度もなかったか?

と問われれば

その答えはもちろんノーです。

 

むしろたくさん迷惑をかけてきました。

親の教育とは裏腹に

現実にはたくさんの人に

迷惑をかけて生きてきました。

 

そしてそれは僕だけではなく

世の中にいる全員が誰かに迷惑をかけて

今があると言ってもいいと思うのです。

 

もちろん親が教えてくれた

「人に迷惑をかけてはいけない」

という教育方針は今でも

その通りだと思います。

 

話を戻しまして

その若い子が不安そうに

僕に何かを売ろうとしてきたのを見て

 

「迷惑だな!やだな!」

 

と感じた瞬間に

母親の言葉と

僕も迷惑をかけて育ってきた

そんないろんな出来事を

思い出したのです。

 

「あれ?お互い様なんじゃないの?」

 

急にそんな言葉が降ってきました。

 

人に迷惑をかけてでも

したくないことであっても

嫌なことであっても

やらなきゃいけない環境がそこにあるなら

その人はきっと人生の「嫌な部分」としての

経験を積むことになるでしょう。

 

僕もたくさんあったし

やった記憶がある。

 

そのたびに迷惑かけてきたけど

その積み重ねで今がある。

 

そう考えると

命を取られるわけじゃない

全財産を奪われるわけじゃない

その程度のことなら

それに付き合ってあげるのが

人生の先輩としての役割なのかも・・・と。

 

人生の諸先輩たちが

僕がしてきた迷惑に

付き合ってくれたように。

 

でもその時の先輩たちは

僕に怒ってくれました。

思いっきり迷惑そうな顔をしてくれました。

 

このクソガキ!

わかんねーのかよ!

 

と顔に書いてありました。

 

そうやって何が迷惑で

何をしちゃいけなくて

逆に何をしたら人は喜ぶのかを

いろんな角度から教えてくれました。

 

迷惑なものは迷惑であると

言葉や態度で教えること

社内の先輩ではなく世間の先輩が教えること

それが日本という大きな家族の一員である

その役割を担っている気がしたのです。

 

いきなり犯罪者扱いしたり

警察沙汰にしたり

法律で強制的に攻撃したりすることも

やろうと思えばできます。

 

そうすることで自分にとっては

平穏無事な生活が

確保されるのかもしれません。

 

でもそれを今僕がしたら

ゆくゆく自分の子供たちも

世間からそうされる気がしてならないのです。

そんな世知辛い世の中が

本当に住みやすいのかな?

生きやすいのかな?

 

自分の子供が一瞬のちょっとした

失敗によって命取りになる

どの大人も誰も許してくれない、

そんな後世を作っていきたいのかな?

と。

 

自分の家族ではないし

知らないどこかの若者だからと言って

一瞬の許しも与えず

法律で

「はい!今嘘ついたね!それ詐欺行為だよ。」

「それ、不法侵入にあたるよ。」

「迷惑防止条例違反だよ。」

 

と言って追いつめて

自分だけは誰にも迷惑を

かけてもらいたくない

そんな風潮を作りながら

 

一方で

「昔に比べて世間の付き合いが薄く
 世知辛い世の中になった」

ことに嘆いているなんて

どこか矛盾してる気がするのです。

 

だからと言って

迷惑であることも伝えないと

それは声が届いたことにはならないし

その子にとっても

会社にとっても

いいことのように思えないのです。

 

何より迷惑に感じたのに

ニコニコしながら

「そんなすごい商品なら

 ちょっと検討しようかな」

と言えるほど僕の器は

大きくありません。

 

だらだらと書きましたが

僕は長いようで短い1秒ほどの間で

そんな結論に至ったので

「迷惑そうに聞いてあげる」

という選択肢を選んでみました。

 

もちろん買いませんでした。

感情的にはやはり最後まで

「全然欲しくねー」

でしたし、もしかしたら最初から

「欲しくなってたまるか!」

と決めつけていたかもしれません。

 

イライラした待ち時間を

さらにイライラさせられて

僕にとってもその会社にとっても

お互い何の経済的な利益は

もたらされませんでしたが

 

それでもその若者にとっては

何年後かに良い経験になった

と言ってもらえることを

信じるしかありません。

 

古臭い考えかもしれませんが

若者は

チャンスは与えられるべきだし

そのチャンスは活かすべきだし

経験すべきだと思います。

 

 

営業活動を散々してきた身として

勝手に言いたいことを

言わせてもらえるなら

もし営業活動を

してくる若者がいたら

迷惑そうでもかまわないので

そのチャンスだけは

与えてあげて欲しいと

思ったりするのです。

 

もちろん欲しくなければ

買わなくていいですし

むしろ買ってはいけません。

 

明らかにひどい商品だな、

それ、許されないだろ?

というような行為でも

もしご自分に余裕があるなら

ちょっとだけ厳しく

付き合って上げて欲しいのです。

 

それはゆくゆく自分にも

返ってきますし

自分に返ってこなくても

子孫に返ってくるでしょう。

 

弾劾するのではなく

厳しく接する

 

排除するのではなく

対峙する

 

そうすることで

長い目で見て

乾いた世の中には

ならないような気がするのです。

軸がぶれた時に人間性がわかる

こんにちは
岡田です。

人に迷惑をかけちゃったって
いいじゃない!
たった一度の自分の人生なんだから
自分の好きな事をすればいい!
いいんだよ。
大丈夫!

この言葉を聞いた時に
「たしかに!」
と思った事を覚えています。

僕だけじゃなくて
多くの人がそう思った事でしょう。
ここ数年、この言葉を声高に言う人が
僕の周りに明らかに増えてきました。

逆に細かいことをいちいち
口を酸っぱくして厳しく注意する
人が減ってきました。

前者を「いいんだよ系」の人
後者を「ねばならない系」の人
としましょう。

ねばならない系の人は
自分の考えこそが正義であり
そこから少しでもはみ出した
思考や行動を許すことができません。

こうあるべきが強すぎるため、
傍から見ていて
若干生きづらそうに見えます。

しかし本人はそこに正義を
感じているので
周囲が心配するほど生きづらくなく
それどころか
そのパワーが余っているので
周囲にそれを押し付けてしまうのです。

後者のいいんだよ系の人は
まさにその逆で
ゆる~く生きています。

努力?頑張る?人に迷惑?
ダメじゃないし、
どれも自分がしたいように
やればいい。

それで悩んでいる人を見ると
こっちの世界においでよ!
人生楽しくなるよ!
と手招きして一緒にキラキラした写真を
インスタグラムに載せて人生を謳歌します。

僕が最近感じたことなんですが
それになりきれない
「なんちゃっていいんだよ系」
「なんちゃってねばならない系」
の人が多いなと思いました。

人に迷惑をかけちゃったって
いいじゃない。
自分の人生なんだから!
いいんだよ!
大丈夫!

と普段から呪文のように
口にしていながら
そういう人ほど
政治家の汚職問題など
大きな失態が明るみに出ると
その人に寄り添うことはせずに

「国民をバカにするな!」

「政治家が人に迷惑かけるなよ!」
「人としてどうかと思う。」
「税金返せ!」
「自分のことしか考えられない人に
 政を任せるなんてムリ。」

と声高らかに
「絶対的なねばならない系」
であると宣言します。

僕は一瞬思います。

「おいおい、どっちだよ?」

と。

しかし冷静に考えると

「そうか!彼ら彼女らは
 軸がぶれてもいいんだ!
 常に自分に都合のいいように
 生きるのがポリシーだった!」

そういう意味では軸がぶれてない。
さすがです。

なんちゃっていいんだよ系と
名付けたものの
なんちゃってどころか
究極のいいんだよ系であることに
気づいてしまうのです。

一方でねばならない系の人は
日頃から口うるさく言っているので
まさにこういう時こそ
本領を発揮してもらって
「汚職なんて絶対に許してはならない!」
と糾弾する人が多いと思いきや
そういう人ほど大きな失態になると
だまったままです。

「何尻込みしちゃってるの?
 まさか嫌われることを恐れてるとか
 じゃないだろうな?」

と一瞬言いたくなるわけです。


「なんちゃってねばならない系」です。

しかし彼ら彼女らは
普段から口うるさく言っているのは
些細なことは本人が気付かないからこそ
口にしているのであって
大きな失態は他人が責めなくても
一番本人が反省していると
わかっているのです。

子供に普段から口うるさく
宿題を早くやりなさい

遅刻は絶対だめよ!

と言ってる人でも

火遊びして消防車が出動するような

大事件になって

子供が震え上がっていたら

黙って見守る。

傷口に塩をすり込まなくても
十分反省している時は
攻撃の手を緩めるのです。

ねばならない系の軸が
ぶれ始めるのです。

いいんだよ系の人は
普段が常に許される世界なので
小さなことは気付かないからこそ
大きな失態になるまでそのまま。

しかしいざ大きな失態が発覚すると
自分が思うがままに攻撃します。

ねばならない系の人は
小さなことに普段から口うるさいからこそ
大きな問題に発展しづらい。
しかしそれでも大きな失態が発覚すると
反省しているかどうかだけ確認して
「二度とやるなよ」
で終わります。

どちらにしても普段言ってることと

やってることが違うのです。

もちろんいいんだよ系で
何があってもいいいんだよ
という人もいれば

ねばならない系の人で
どんな時でもダメなものはダメと
執拗に攻撃する人もいます。

ただ傾向として
大きな失態が起きると
逆の立場を取る人が多いと
感じる今日この頃です。

これをビジネスの世界に
置き換えた時に
どのようなスタンスがいいと思いますか?

それこそまさに
ご自分の好きなスタイルを
好きなように選択するのが
自分の人生を生きることになると思います。

一度考えてみてはいかがでしょうか?

【叱るv.s.褒める】よりも大切なこと

こんにちは
岡田です。

人の教育に関して
叱ったり怒ったりした方がいいのか
褒める方がいいのか
議論になることがあります。

両方バランス良く取り入れる派
の人もいます。
どちらもしない放置派の人もいます。

①叱る・怒る派
②褒める派
③両方バランス良く取り入れる派
④放置派
⑤(上記以外があればご自分で付け加えて下さい)

どれにあてはまります?

③の人が多い気がします。
僕も③です。


③ではあるのですが・・・
最近僕はこの「バランス良く」
という言葉が好きではありません。

一見、便利な言葉ですが
しっかりとした何かがなく
その日の気分や感情で
左右される曖昧な指標だからです。

バランスが良いとは具体的に


50対50ですか?
平均的ということでしょうか?
一般的ということでしょうか?
その場合、平均や一般とは
具体的に何を指すのでしょうか?
どういうことを指すのでしょうか?

それが説明できないと
「バランスが良い」とは
人によって解釈が違ってきます。

では最初の質問に戻り
教育に関してはどうしたらいいのか?
この質問に対して
僕は明確な答えが出ていません。


③が一番近い気がしますので
どれか?と問われれば
消去法で③としか言えない程度の
③です。

さてビジネスにおいて
教育は何の為にするのか?
という問いがあったとしたら
どう答えますか?

奇麗ごとはいろいろ言えると思いますが
最終的には求められるものは
結果や実績のような気がします。

ビジネスにおいてという前提では
やはり結果や実績が求められるのは
避けられないと思います。

では①〜⑤の中で
どれが一番実績が出る教育ですか?
と問われて「絶対にこれだ!」
と言える自信がありますか?

僕はその答えは神のみぞ知る
領域だと思います。

教育の方法は時代によって
言われて来た事は違いますし
人が育って来た環境や性格によって
及ぼす効果も違う気がします。

最近ではどうでしょうか?
褒めることが注目を浴びていますが
それが万人にとって
絶対的に正しいかどうかは
人間が決められることではない
気がするのです。

だからと言って
褒めることがいけない
とは言っていません。

効果が非常に高いことは
言うまでもありません。

それが全ての選択肢の中で
ベストなのか?
と問われれば違うかもしれないし
そうかもしれないということを
言っているのです。

①〜⑤すべてにおいて
絶対的にこれが正しいとは
言えないと思うのです。

だから永遠に答えは出ないと。

もしそう仮定するとしたら
自分の信じるやり方を
するしかないと思うのです。

したいことをやればいいと。
いろいろやってみて
効果があると思っているものを
信じてやればいいということです。

僕が自分で信じている教育論は
叱るにしても褒めるにしても
まず自分に厳しい方がいい
ということです。

ちなみに

「厳しさ」は「楽しさ」や「喜び」と

反対の位置にはありません。

「厳しさ」の延長線上に

「楽しさ」や「喜び」があると思います。

「厳しさ」の反対の位置にあるもは

「怠惰」や「手抜き」です。

僕は怠惰や手抜きで

ビジネスを継続させる方法を知りません。

厳しさとはそういうもので

あることを前提で

向いている方角が同じがいい
ということです。

詳しく説明します。

上司が部下に対して
背中を見せて
「ついてこい!」
的な発言をするとしたら
当然部下よりも力強く
先頭を歩かなければなりません。

引っ張る力が必要ですから。

逆に一番下から
お尻をたたきながら
「ほら!頑張って行こう!」
と言う場合も同様に
部下よりも力強くなければなりません。

押し上げる力が必要ですから。

引っ張るにしても押し上げるにしても
上司と部下は向いている方角は
同じです。

しない方がいいと思うのは
上司が上から下に向かって
力をかけることです。

上司と部下が対峙している状態です。
向いている方角が180度違う場合です。

この時、厄介なのが
上司が「怠惰」や「手抜き」がなく

真面目であればあるほど

上司の方が部下よりも
力関係で強い状態であることです。

簡単に言うと部下は
つぶされてしまいます。

上司と部下は常に同じ方角に
向いていないといけない。
敵ではなく仲間なのですから

僕は選ぶなら③と言いました。

叱るにしても褒めるにしても
上司は自分に厳しい状態で
上から引っ張る力を持ち
下から持ち上げる力が必要である
ということです。

そして
上司が部下と対峙することで
上から下に押しつぶすことを
してはいけない
その在り方さえわかっていれば
細かい教育方法に関しては
どんな方法でもかまわないと思います。

まとめると
向いている方角は同じで
力がないと押し上げる事も
引っ張ることもできないので
厳しさも必要であると思います。


その厳しさは誰よりも
自分に向いていないといけない
ということです。

自分より弱い立場の人間には

対峙するのではなく

同じ方角を向くことから

はじめることが大切だと思います。

もしビジネスにおいて厳しさが

必要ないという人がいたら

ぜひ教えて欲しいことがあります。

怠惰や手抜きでできた商品やサービスを

買い続けてもらえる方法を。

売上を下げる勘違い

こんにちは
岡田です。

僕は大学を卒業して社会人になってから
以後ずっと販売に携わる仕事をしてきました。

最初はもちろん売れない日が続き、
悶え苦しみました。

知識も経験も自信もない若造が
売れないのは不思議ではありません。

もし今の僕が当時の僕に
言葉をかけてあげることができるなら

「まぁ、最初はそんなもんだよ。
 急には売れるようになれないかもしれないけど
 成長できる余白が無限にあるんだから
 焦る必要なんてないよ!大丈夫!!」

と言ってあげたいです。

この言葉に噓偽りはありません。


特に後半部分の
「焦る必要はない、大丈夫」
は、つい言ってしまいがちです。

言う方は気持ちがいいし
言われる方も安心できる言葉では
ないでしょうか?

そう言うと、逆に
「え?言わない方がいいの?」
と思うかもしれません。

「言わない方がいいのか?と言うと、そうでもない」
というのが僕なりの意見です。

すでに頭が混乱し始めている人が
いると思いますので言い方を変えます。

「焦る必要はない!大丈夫!!」

と今の僕が思っているのは本当ですし
その通りではあるけれど
今そう思えるのは
昔、売れなかった頃の僕が

「このままじゃ大丈夫じゃないから
 焦りまくっていろいろやった結果、 
 売れるようになり、
 今となってはそう思える様になった」

のであり、

「その過程を経験せずに
 今の僕が存在しているのか?」

と問われれば、その答えはもちろんノーです。

焦っていろんなことをやろうとすると
確かにミスが多くなったり
ちょっとかじってはすぐに止めてを繰り返したり
結果を焦るあまりズルいことをしようとしたり
楽な道を探したりします。

しかし、それが遠回りであることに
遅かれ早かれ気づきます。

それを知っている今の僕は
「焦らなくても大丈夫だから!」
と言いたいし、それは嘘ではない。

でもだからと言って

「そう言うあなたは全く焦ることなく
 大切なことをやっていれば大丈夫だと信じて
 それだけをやり続けた結果、
 売れるようになったのか?」

と問われれば


「それは事実ではない。」


ということです。

「いろいろ近道を試している事は
 結果として遠回りなるんだから
 遠回りだとわかっていても
 一つの道を信じて進んだ方が近道だよ」

と言うアドバイスを信じさせて
それだけさせることが逆に遠回りになる
という危険性があるのです。

表面上のアドバイスは


「大丈夫!安心してこの道を突き進んでごらん!」


なのですが、実際は


「いろいろ違った道を体験して
 悶え苦しむ経験もして欲しい!」


のです。

この真意をわかってもらえないと

「焦る必要はない!大丈夫!」

という耳に優しい言葉を
そのまま解釈して
自分の可能性を閉じてしまうかも
しれないのです。

僕は若かりしころ、色々経験してきた中に
ある尊敬する人物の一言に衝撃を受けて
そこを目指す様になりました。

その一言を紹介します。

「お客さんに『買ってください』と言わずに
 お客さんから『売って下さい』と言われる様な
 営業マンになったらホンモノだ!」

カッコ良いと思いませんか?


それができるようになったら
一人前の営業マンとして自信がつきます。

僕はそこを目指して、
『買って下さい』
とは言わずに売れるようになる
営業手法を考えました。

いろいろ試していくうちに
徐々に『買って下さい』と言わなくても
売れる様になってきたのです。

そうできるようになったのは
目標を持ち、その域まで達したいという欲が
エネルギーの源になっていたからです。

そのエネルギーを使って
いろいろ遠回りをして試したからこそ
『買って下さい』
とは言わなくても売れるようになったのです。

色々試したものの中で

ウェイトを置いたのが

コミュニケーション能力を磨く

勉強をしたことでした。


コミュニケーション能力を
高める方法はたくさんあります。

その手の本を読めば
やり方はたくさん書いてありますし
本を買わなくても今では
インターネットでちょっと調べれば
無限にその方法は出て来ます。

だからいろいろ調べてやってみて欲しいのです。


遠回りかもしれませんが
それをすることで
確実に自分の身になることが増えてきます。

僕はそれをしていくことで
自分がカッコいいと思った
『買って下さい』
とは言わなくても売れるようになれたのです。

そしてここからが重要なのですが
更に試行錯誤していくことで
そこからさらに飛躍的に
売れるようになったのです。

試行錯誤を重ねて行くと

コミュニケーションとはこういうことなんだ!

というのがわかる瞬間が訪れます。

それがわかった瞬間に
今まで自分が試行錯誤してきたことは
表面上のことに過ぎず、
それはそれで身になることでしたが
もっと大切なことに気づきました。

その気付きが僕を
自分が理想としていたレベルを
はるかに超えてさらに売れる様に
してくれました。

僕が言えることは
自分が目指したいところがあれば
そこを目指して欲しいのですが
道を間違えるのは「アリ」だということです。

本当にこの道でいいのだろうか?
と焦ったり、ドキドキしたりする経験が
自分がさらに高みを目指す
なりたい自分を見つけられる過程がそこにあり、

その過程を経験していくと
さらに飛躍できる何かを見つけることができるのです。

人はそれぞれ違う個性を持っているので
それが何かはここで言及できません。

あくまで僕の話は参考例です。

繰り返しになりますが
僕が理想としていた域に手が届いた頃に
そこからさらに高い位置にいけたのは
「コミュニケーションとはこういうものなんだ!」
と気づいたことです。

それが何であるかは参考例に過ぎませんが
参考でよろしければその辺の話も
次回のセミナーで紹介したいと思います。

僕の話を鵜呑みにして

それだけを信じてそれだけをやるようなことは

しない方がいいと思います。

でも参考には大いになると思います。
興味のある方はぜひご参加ください。
http://okada-koji.com/seminars/cat333/62.html

暑い夏に涼しく過ごす仕事術

こんにちは
岡田です。

最近子供と接する機会が多いなと
思っていたら夏休みでした。
久しぶりに子供と過ごし
気づいたことがありました。

それは子供というのは、
(大人もですが、、、)
大きなものから小さなものまで
結構な頻度で嘘をつくことです。

どうしてそんな嘘をつくのか
全く意味がわからないものもあれば
自分が子供の頃を
思い出させてくれるような
身に覚えのあるような嘘もあります。

逆に

「そこ、正直に言っちゃうんだ?

 ごまかせばいいのに!」

と思うところもあったりします。

それはさておき

その嘘に付き合ってみて

一つ気づきがありました。

それはどの嘘もついた時は
大きな問題ではないことです。

嘘をつくこと自体がそんなに
大きな問題ではありません。

話の内容次第でそれが後々
大きな問題に発展するのか
とるに足らないままなのか、
であって
嘘をついたその行為自体は
その瞬間は大した問題ではないのです。

だからついつい「放置」してしまいます。

もちろん、嘘をつく事自体は
いけないことですが
それが原因で問題が大きくなり、
その被害の大きさに比例して
人は怒る度合いも大きくなるのです。

そして人間はそうなることも
過去に何度も学んでいるので
嘘をつく事はいけないことだと
事前に教え込むのです。

もう一つ人間は過去の学びから
得た能力があります。
それは嘘をついている人間は
わかるという能力です。

特にその対象が子供であると
自分が嘘をついたことがある
経験値からなのか
すぐにそれが嘘かどうかを
見抜いてしまう能力が
身に付いてしまっています。

「なんとなくわかる」
レベルではなく
「バレバレじゃん」
のレベルなのです。

そしてその予想は残念なことに
ほぼ間違いなく正解です。

子供の嘘は見抜かれている。

そしてさらに面白い事に
子供はその見抜れている嘘が
バレていないと信じています。

そんなところだけは
なぜか純粋だったりします。

表現は適切ではありませんが
大人は余裕があるので
その嘘に付き合います。
悪く言えば泳がせる。

そして
嘘がバレるところまで会話が続き、
怒られるという

一連の儀式が執り行われます。

これは親子の中では
よくある光景で
良いとか悪いとかはさておき
大人は子供に
「嘘をついても悪い結果しか導かない」
と教えています。

子供にはそう教えて
百も承知のはずなのに
なぜか上司やお客さんに対しても
同じようなことをします。

滑稽なのはその嘘は
とっくにバレているのに
バレていないと思ったまま
嘘を突き通していることです。

上司やお客さんからしてみたら

経験値が高い分
我々なんて子供と一緒です。

嘘を見抜ける=嘘をついた経験がある
そういう意味では
上司もお客さんも同罪ですが(笑)

僕らは子供と同じ事をしていて
泳がされているのにバレていないと
信じています。

繰り返しになりますが
嘘をついているその時は
問題としては大きくはありません。
問題が小さいのです。

問題が小さい時に
謝ればどうにかなるのに
小さいからこそ放置して、
もしくはごまかせるんじゃないか
と甘い誘惑に襲われ、
その結果小さい問題は肥大化し、
本人の謝罪程度では
許されない事態に発展します。

嘘はついた瞬間から
地獄への始まりです。

なので人は
「嘘をつかなきゃいけない!」
と思った瞬間に
時間軸的に早いタイミングであればあるほど
嘘なんてつかずに謝った方が楽なんです。

後になればなるほど
事態の収拾は大変になります。

それでも人は嘘をつきたがる動物です。


そんなわかりやすい例を子供を通じて
再認識させてもらいました。

自分が嘘をつかなきゃいけない
その瞬間をもし意識できるのであれば
嘘はやめよう!と思いました。

それは誰かに迷惑をかけるとか
そういうことも当然大切なことですが
単純に自分にとって良い事なんて
一つもないということです。

お客さんにはバレている。

もし思い当たる節があるなら
正直にすぐに謝っちゃいましょう!

そっちの方が楽です。

「今さら言えない、
 バレていない」


と思いたい気持ちはよくわかります。

しかしそれは地獄への入口です。

このまま嘘を突き通せば近いうちに
冷や汗をたくさんかくことになります。

どうか涼しい夏をお過ごし下さい。

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