メルマガ登録! 仕事や営業の
コツを
毎日4秒で
読めます
Blog
儲ける脳のつくり方

会議のあり方

こんにちは
岡田です。
会議がやたらと長くて出たくない!
そう思った経験はありませんか?
僕はあります。
出たくないと思うのは
実は、時間が長いからではなく
会議の内容そのものに意味がない
と毎回毎回思わされるから。
こんな会議意味がない!
現場をわかっちゃいない!
机上の空論でしかない!
バカバカしい!
上司のストレス発散の場!
伝達事項だけならメールでいい!
会議に参加する側の不平不満は
概ねこんな感じだと思います。
逆に会議を招集する側、
上司や上役の意見は
ウチの社員たちは
何を言っても響かない
死んだ目をしてる
覇気がない
アイデアや意見を出さないくせに
陰で文句ばかり
毎回お通夜のような雰囲気
こんな会議ならやるだけムダ
こんな感想をお持ちのようです。
さて、
どうしてこうなるのでしょう?
両者とも会議が最初から
不必要だとは思っていません。
やっていくウチに
今やってるような会議がムダだ!
と思うようになるのです。
そう。
両者とも意見は同じなのに
いつしかギスギスしはじめ、
嫌になるのです。
その原因をお互いがそれぞれ
お互いのせいにしている
そこにも原因があるのです。
部下は上司が怒るから
発言がしにくく
上司は部下に覇気がないから
仕方なく怒る。
こんな感じではないでしょうか?
まさに鶏が先か卵が先か。
もはやこうなってしまっては
そもそもの発端となった原因が
どちらが先であったかを
追求したところで意味はありません。
それよりも今後どうしたら
より実りのある会議になるか
を探った方が良さそうです。
そもそも何の為に
会議はするのでしょう?
突き詰めて行くと
誤解を恐れずに言えば
より売上げを上げる為です。
では売上げというのは
どこで成り立っているのでしょう?
もちろん現場です。
部下の持ち場です。
その部下が現場で
困っていることを
どうにかするために
会議をするのです。
よほどのへそ曲がりでない限り
部下を現場で困らせたいために
会議をする上司はいません。
どうにかしてあげたいのです。
ここで多くの人が目を背けたがる
重要な事実をお伝えします。
上司は部下を助けることはできません。
いや、助けてはいけないのです。
なぜなら、
だったら最初から上司が現場に
いればいいのです。
売上げを上げる為だけなら
実績を作れる上司が
思う存分売り上げればいいのです。
なぜ未熟な部下を現場に行かせて
みすみす売上を下げるかもしれない
ことをさせているのでしょうか?
それはそれをしてまでも
部下を成長させる必要が
あるからです。
つまり未来への投資なのです。
それなのに現場で部下の成長の
可能性を奪う事は
未来への投資が中途半端に
なってしまうのです。
現場で手伝う事はもちろん
会議でも上司は前に
しゃしゃり出ては
いけないのです。
部下が現場で困っている事で
その場で解決できなかったことや
うまくいかなかったことを
会議で考えたり対策を
立てたりするのです。

会議はあくまでも
現場では解決できなかったことを
じっくり現場の仲間同士が
自分たちの力で解決に導く為の
時間と場所なのです。
上司の過去の武勇伝など
どうでもいいのです。
それを参考にするのはいいですが
ほとんど参考になりません。
なぜなら時代はすごいスピードで
変わっているからです。
会議での上司の役目は
ただ一つです。
未熟であるがために
現場で対応しきれなかった部下が
自分たちでどうにか解決策を
見つけ出すために
会議という形で
時間と場所を提供するたけです。
それを見守っていればいいんです。
会議で口を出すから
部下が自分たちで
考える事を放棄するのです。
現場での全てのパターンを
上司が部下に教える事が
可能であれば
そのやり方もありでしょう。
部下は教わった通りにやれば
売上は滞りなく上がります。
しかし現実的には
そんなことできません。
毎回違う新しい困難が
次から次へと襲ってきます。
上司に教わったことが
そのまま使える事など
100回に1回あればいい方です。
であるなら
部下は自分たちで
その場(現場)で考えて
乗り越える訓練が必要なのです。
それなのに上司が
会議で口を出すことによって
その可能性を奪っては
いけないのです。
違う言い方をすれば
上司は会議でいるだけで
いいのです。
アイデアを出す必要も
怒る必要もないのです。
どちらもしてはいけないのです。
ただいるだけ。
見守るだけ。
それでいいんです。
「ウチの上司は会議で
 ただ座ってるだけ!
 アイデアも出さなければ
 参考になる過去の経験も
 教えてくれない。
 現場で困っているのに
 何も教えてくれない!」
部下にそんな風に
言われる様になったら
部下はしっかりし始めます。
あとはその会議は
ひとりでに成長を
始めます。
会議は部下達がやるしか
ありません。
アイデアや意見が活発に
出始めます。
なぜなら現場で困るのは
本人たちだから。
上司は何の為に役職を
与えられているのでしょう?
それは自分の手柄を
もう意識しなくてよくて、
部下に手柄を立てさせる事に
集中して欲しいからです。
もし上司が次の昇進として
自分の手柄が必要なら、
それは自分が現場で
数字をあげる手柄ではなく
会社の運営やマネジメントで
成果をあげることです。
別の言い方をすれば
部下を育てることです。
部下の数字作りの手柄を
自分の出世のための手柄と
同列にしているようでは
役職を放棄して現場で自分も
手柄争いをしているような
ものなのです。
上司はその感覚を
まずは捨てなければなりません。
一方で
部下達は会議で
どのような会議運営を
すればいいのでしょうか?
自分たちが現場で学んでいる
「今」をお互いが隠す事なく
そこからアイデアを出し合うことです。
お互いが助け合う。
アイデアを出し合う。
自分たちの頭で考える。
そういうものが必要なのです。
そう考えると
逆に会議というものは
長くなっても仕方ないと
思います。
会議が長いからムダ
と思うのはいささか
違うと思います。
もし短時間で誰もが
答えを出せるなら
そもそも現場でその場で
対応できているでしょう。
会議が「長い」からムダ
などと言う事自体は
ただの甘えであって
長い短いは関係なく
意味のあるものを
ひねりだす必要があるのです。
「意味のある」とは
自分たちで突破口を
考え抜くという
ことなのです。
それが短時間でできるなら
会議は短くなるでしょう。
自分が未熟なら当然
長くなるでしょう。
自分の未熟さを棚に上げて
会議が長いからムダ
と言っているようでは
とても成長しているとは
言えません。
会議で上司が口を出す
と言う事は
部下が自分たちの未熟さに
気づく前に
言い訳のスキを
与えてしまっている
ということなのです。
だから上司は部下を
助けてはいけないのです。
助けようとして
うまくいかなかった時は
発言した上司の責任に
なってしまうのは
火を見るより明らかです。
上司が会議でどんなに良い
アドバイスをしても
陰口をたたかれたり
文句を言われることがあっても
感謝されることはありません。
そして長い目で見ても
その場で解決策を与えるような
上司の元にいる部下達は
成長はなかなかしないでしょう。

がんばるとは?

こんにちは
岡田です。

本日、山登りに行って参りました。
釣りがハードなスポーツだと
思っているほど普段から
体を動かさない僕にとっては
なかなかハードな1日となりました。
いや、なかなかどころか
ここ10年以上味わった事がないほど
きつい体験をしました。
よく人生は山登りに例えられますが
今日はリアルに山に登り
登山中は終始きつい状態が続き
油断すると危険な状態だったので
人生観や仕事観に
重ね合わせて頭を紛らわすしか
ありませんでした。
まず、途中で危険な箇所が
たくさんありました。
普通に通れば問題なく通れますが
ちょっと気を抜いたり
ちょっと手が滑った
ちょっと足が滑った
その程度で十分大けがをしたり
下手したら命を落とせるくらいの
危険度です。
人生にもそんなところは
たくさんあると思います。
登山で大切なことは
当たり前ですが
途中で死なないことです。
人生も途中、どんなに苦しくても
死んじゃダメだ、
そんな大袈裟な気持ちに
させてくれました。
仕事で言えば
途中で諦めない事、
やり抜く事、
と言い換える事が
できると思います。
そう書くと仕事で
どんなに辛い状況でも
無理しないといけないの?
それで死んじゃったら
本末転倒じゃないの?
と言われそうですが
半分そうで、半分違います。
実は今回、
山登りをするにあたり
体をならす為の体力作りを
僕は全くしていませんでした。
さらに本番当日は寝不足な上に
朝ご飯を食べずに行きました。
正直、軽い気持ちで
山登りに挑んだのです。
「ナメてんの?」
と言われても仕方がありません。
仕事で言えば
完全な準備不足です。
当然の結果として
途中で体調が悪くなり
足と頭が痛くなり
3〜4合目あたりですでに
グロッキー状態でした。

足の痛みは一歩歩くごとに
付け根の筋?の部分に
激痛が走ります。

頭は船酔いしたような感じで
めまいがして
足元を注視することができません。

立ってるだけのことが
辛くて辛くてしょうがない
そんな状況です。

俗的に言うと
「マジで死にそう」
でした。
だいたい200歩も歩けば
足の痛みは限界に達し、
頭が朦朧として
座らないとヤバイ状態です。

200歩ごとに休むって
その前に休んだところから見たら
視界の中にある景色内の場所です。
しかし僕にしてみたら
もう何キロも歩いた感覚です。
あとどんだけあるんだよ!
もう歩けない
もう動けない
ここで引き返せたら
どんなに楽になれるか。
でも山頂からの景色を
楽しみにして一緒に
行ってくれている人が
そばにいます。
僕が引き返すと言えば
当然一緒に下山するでしょう。
かと言って自分が山登りを
続ける事で迷惑をかけたくも
ありません。
困りました。
そこで僕は決めました。
約200歩進んだ所で休んで
それでも痛みがひかなかったり
フラフラしたりすることで
身の危険を感じたら
すぐに下山すると。

自分が納得する形で
最悪の自体を招かない様に
線を引いておく。
それまではどんなに
ゆっくりだろうが
迷惑をかけて醜態をさらしても
とにかく前に進む!
と決めました。
そう
人生は一歩一歩進むしかないのです。
たとえこれが下山を選んだとしても
自分で一歩一歩
歩くしかないのです。
無理して死んじゃったら
本末転倒じゃん!
と言うかもしれませんが
止まっていたら
それもまた死を待つのみです。
誰かがおんぶしてくれるかもしれません。
でもそうすることで
その人の命を危険にさらす
ことになります。
だったら
おんぶではなくて
迷惑をかけながら
かっこわるい姿をさらしながら
待ってもらいながら
励ましてもらいながら
アドバイスをもらいながら
色々気を遣ってもらいながら
自分で歩くしかないのです。
辛くても自分で歩く
それを「無理してる!」
と言えば無理をしています。
でも無理して死なないために
醜態さらして
迷惑をかけながら
休ませてもらっています。
他の人から見たら
「200歩進んで休む?
 何かの冗談?」
と言われるような
手ぬるい頑張り方です。
自分の普段の状態から
考えても十分手抜きです。
でもその時は
死なない程度の
死なないための
頑張りなのです。
「そんな状態になるなら
 山登りなんて最初から
 しなきゃいいじゃん!」
と言う人もいるでしょう。
確かにその通りかもしれません。
しかしそんなことを言っていたら
何もできなくなります。
さらに
「準備不足がいけないんじゃん!」
と言う人もいるでしょう。
まったくその通りなのですが
ただ逆に言えば
どんなに準備をしても
それで完璧という準備は
あるのでしょうか?
今回の僕の準備不足は
明らかに僕の手抜きなので
自業自得です。

しかし、長い人生の中では
準備をしっかりした人でさえも
今日の僕のような困難に
遭遇する事はままあることでは
ないでしょうか?
準備をしっかりすることは
困難な状況に合わない確率を
上げることであり
困難を皆無にすることを
保証しているわけではありません。
仕事で普段から
一生懸命やっているのに
いつまでたっても
困難ばかりだ!
さらに頑張れ!
って言われても・・・。
じゃぁ、山登り止めますか?
最初から何かに
チャレンジするのを止めますか?
上司や親や社会のせいにして
おぶってもらいますか?
不屈の精神で
自分がチャレンジ
し続けられるほど
やりたいことがあれば
チャレンジした方がいいと思います。
もしそういうものを
まだ見つけていないなら
なおのこと
いろいろ経験した方が
いいと思います。
最近
「頑張らなくていい」
という言葉をよく耳にします。
その耳に優しい言葉を
そのまま解釈して
辛いことは一切せずに
何にもチャレンジしないことと
イコールに思う事は誤解です。
そんな誤解をしている人がいたら
僕からしてみたら
家から一歩も出ないでいるか
山登りの最中に
ちょっとでも辛くなったら
一歩も歩かないと
言っているように思えます。

人に迷惑をかけようが
どんくさいやり方だろうが
醜態を晒そうが
非効率だろうが
突っ込みどころがたくさんあろうが
自分で決めて自分なりに
頑張るしかないと思うのです。
それでも人は失敗したり
どうしていいかわからない状態に
陥ります。
その時に自分で考えて
ふっと気が楽になって
できることを精一杯
頑張ればいいと思うのです。
それが最善の策だと自分で思うなら。
そうこうしているウチに
準備をしっかりできるようになり
困難が少なくなり
ある日、他の人から見たら
得意分野が増えていたり
仕事ができるようになったり
するのです。
頑張るって何?
頑張らない方がいいの?
どこまで頑張ればいいの?
山登りをしながら
人生や仕事について
頭が朦朧としながらも
そんなことを思って
無事帰ってきました。
一緒に行ってくれて
気を遣ってもらって
ご迷惑をおかけして
それでも楽しかったと
言ってくれたお二人に
感謝いたします。
今日ほど自分が
弱い人間であることを
痛感させられた日は
ありませんでした。
辛い思い出ほど
後から良い思い出になることは
多くの人が経験上
知っていることです。
それを今回も疑う事なく・・・
ありがとうございました。
追伸
大袈裟に書きましたが
僕の登った山は
70歳くらいの方々が
死体のような僕を横目に
ヒョイヒョイ登って行けるほどの山
であることは恥ずかしくて言えません。
{DE477F66-652D-43D6-9210-3A798E390F7B}

{73AAF56F-C147-4BC3-9874-0B19391C38A1}

{A003A62F-2F14-4FB8-AAAE-7D13DE408767}

{A8B1C0C6-14F3-4D9D-8F8D-30076997C83C}

{1DFE713F-362D-4BA0-BCE7-BEC9A0559C57}

{8E363E08-2757-4A7D-95C5-6C953E16E49F}

{6CEEC5C5-36AA-4317-8B95-7903CF0D8BD8}

{A2E5AF5A-E392-42A7-AA80-C26A570CB847}

{FF363D52-D505-4141-B16F-61C0BE61CF8D}

{97813880-1E07-47DC-A798-DBB4E2B42963}

{3B4A5CD3-42B8-4CC6-9E94-337A9BB6F65A}

{51AE35E3-7E91-4816-BE4B-5941860BC008}

{0E15F7A7-A0F4-4850-8761-A7D14A62107F}

{366E4EF5-0E1F-4199-8CAE-03B67DBC5616}

{3BDB32B0-A1A8-4EC9-B52D-729DF8FD43DB}


営業初心者へ

こんにちは
岡田です。
恋人が欲しいと願っている
人の口癖で
「出会いがないんだよね〜」
というのを聞いたことが
あると思います。
もしかしたらご自身も
過去に一度くらいは
口にした経験がありませんか?
僕も過去を振り返ってみて
「一度も口にしたことはない!」
とは断言できないです。
しかし、
もし口にしていたとしても
もちろん本気ではありません。
「出会いがないんだよね〜」
と言っている人の大半は
何か別の理由でその言葉を
使っていると思うのです。
もし本気で言っていたら
それは相当特殊な生活環境です。
家から一歩出れば
人口の約半分は異性です。
もし仮に職場に異性が
1人もいなかったとしても
通勤中や帰宅途中には
異性が存在します。
お店、病院、役所、銀行、郵便局
コンビニ、ガソリンスタント
レストラン、喫茶店
バス、電車、駅など
生活をしていてこれらの場所に
一つも行かないことは
ちょっと考えにくいですよね?
これらの場所全てにおいて
同性しかいない地域に
住んでいるとしたら
恋人ができる、できない以前に
それは大いなる奇跡です。
もしその奇跡的な環境に
生きているなら
「出会いがないんだよね〜」
というセリフは激しく
うなずくしかありません。
激しくうなずけますが
そもそも
「出会いがないんだよね〜」
と言っている人は
異性との出会いがないことを
本気で議論したいわけではなく
何か別の訴えをしたいと
思っているのでは
ないでしょうか?
その「別な訴え」が
何であるかを実は本人が
薄々わかっていて
他人からそれを指摘されると
非常に嫌な気分にさせられます。
だから別な表現をすることで
かまってほしいのです。
その訴えとは
自分に合った異性
自分にとって良い条件の異性
自分を好いてくれる異性が
自分の前に現れて欲しい!
誰か連れて来て欲しい!
です。
まぁ、これだけ露骨に
自己中であれば
素直には認めるはずは
ありませんよね。
「そんな都合のいい話が
 あるわけがない。」
「どこまで甘えてるんだ?」
って話ですから。
それをわかっているから
「出会いがないんだよね〜」
と事実とかけ離れた言葉で
自分の甘えや怠慢を
ごまかしているのです。
しかし残念なことに
出会いはありますから。
異性と出会える可能性が0%
ということはありません。
そのこと自体が0%です。
異性はどこにでもいる、
それを踏まえた上で
どこにでもいる異性の中から
自分に合った異性、
良い条件の異性、
自分を好いてくれる異性
を自ら探しにいくしかありません。
そして声をかけるしかありません。
自ら声をかけられないなら
声をかけてもらえるような
何か工夫をしなければなりません。
相手の方から
目の前に現れてくれる
もしくは
誰かに連れて来てもらう
ことが正直どれだけ甘い
希望に過ぎないかは
自分が一番よくわかっていると
思います。
異性に何かしら働きかける
工夫すらもしたくない。
それでいてこの甘い希望を
叶えたいというなら
限りなく自分が
魅力的な人になるしか
ありません。
もし放っておいても
周りにいる人たちが
すでに異性を紹介したがっている
状態であれば
そもそも
「異性との出会いがない」」
という発言はしないはず。
厳しいことを言うようですが
どうしても異性を紹介したい!
というそこの部分の魅力が
足りていないことを
周囲の人たちは判断している
ということになります。
さて、
自分は結婚してるから関係ない。
恋人がいるから関係ない。
と安心している人にも
考えて欲しいことがあります。
この「異性」という言葉を
「見込客」という言葉に
変えてみた時に
安心していられるでしょうか?
「見込客がいないんだよね〜。」
いや、いますから。
そこらじゅうに。
「誰か商品を買ってくれる見込客を
 連れて来てくれないかな〜?」
「ウチに見合ったお客さんだけ
 俺の目の前に現れないかな〜?」
甘いです!
このまま待っていても
状況は何も変わらないです。
自ら探しに行くか、
広告を出すか、宣伝をするか
来てもらえるような
何か工夫をするか
魅力あるお店作りをするか
どうしても紹介したくなるような
商品を作り続けるか
人として大いなる魅力が
溢れ出るくらいの
成長をするしかありません。
それをしていない人ほど
「出会いがないんだよね〜」
という事実ではないウソで
自分をごまかそうと
しているのです。
見込み客もたくさんいますし
広告や宣伝ツールは
昔と比べてはるかに
使いやすく効果的なものが
揃っています。
営業方法を教えてくれる所も
たくさんあります。
紹介制度的なシステムも
世の中には反乱しています。
これでもか!というほど
世の中には自分磨き的な
ノウハウが出回っています。
世の中には完璧ではない商品が
まだまだごろごろしており
(正確には完璧な商品は一つもなく)
毎年のように
「これすごくない?」
と紹介したくなるような商品が
たくさん開発されています。
たくさんある手段の中で
良いモノか悪いモノかは別にして
どれもやってもいないのに
もしくは一度やったくらいで
諦めていては
出会えることもなければ
お客さんになってくれることも
ありません。
世の中でモテル人や
売れている人というのは
これらの何か一つでも
やり続けている人です。
何もしてなくて
結果を出しているという人に
僕は出会ったことも
見たことも聞いたことすらも
ありません。
逆にそういう方法が
あるならぜひ教えてもらいたいです。
というかそれをやれば
いいと思います。
やればいい
という時点でそれが
その方法なので
何かをしていることに
なるのですが。
つまり
何かしら自ら
行動を起こさない限り
できない理由を
言葉を変えて言っているに
過ぎないのです。
それは自分を
ごまかしていることに
他なりません。
そして何も変らない
ということです。
https://www.facebook.com/events/1703413043313179/

読まれる文章を書きたい人への注意点

こんにちは
岡田です。
今日はビジネスにおける
文章について
世間でよく言われている
ノウハウの注意点を
お伝えしたいと思います。
文章が長かったり
難しい言葉が使われていると
読むのが苦痛になるので
読みたくない、
読んでも頭に入ってこない、
そんな読み手の意見があります。
その対応策として書き手は
なるべく短く、
小学5年生でもわかるくらい
簡単な言葉を使った文章を
書く様に心がけましょう!
などとよく言われています。
確かにその通りなのですが
今回の記事のタイトルからも
わかるように
果たして本当に
簡単でわかりやすく
短い文章にすれば
それでいいのだろうか?
という疑問を呈してみたいと
思います。
そもそも僕たちは
なぜ文章を書くのでしょうか?
「何かを伝えたい。」
その先には
「それをわかってもらいたい。」
という意図があると思うのです。
そしてさらにその先には
ビジネスの文章であれば
「内容に賛同してもらえるなら
 ○○○するといいですよ。」
「○○○しませんか?」
「○○○を手に入れて欲しい。」
「○○○を買いませんか?」
という希望が少なからず
あると思うのです。
逆に、
もしまったくそういう
意図がなければ
なぜビジネスにおいて
文章を書くのでしょう?
何の意図もなく
文章がうまくなりたい!
面白い文章を書きたい!
上手に書けることそのことに
大きな意味があり
それが最終目的で、
それが成就できれば
人生終えてもいい!
という人は
小説家や脚本家でもない限り
あまりいないと思います。
ビジネスにおいて書く
文章の目的は
キレイごとは抜きにして
突き詰めて行くと
「買いませんか?」
に集約されると思うのです。
であるならば
そのことを直視せずに
短くて簡単でわかりやすい
「読まれるためのノウハウ」
をいろいろと試行錯誤しても
最終目的である
「購入」
には至らない文章を
書く事になってしまいます。
冒頭に書いた様に
文章が長いと読まれないとか
難しい言葉が使われているから
読まれないというのは
確かにその通りだと思います。
なので否定はしません。
できるなら
簡単で短い文章の方が
読まれる確率は高くなります。
文章を短く
わかりやすくすることで
今まで10人にしか
読まれなかった文章が
1000人に読まれるように
なるかもしれません。
しかし
1000人に読まれるようになっても
芸能人の不倫ネタにように
かる〜い感覚で読まれたら
どんなに共感を得られても
「他に面白いネタはないかな?」
と目移りされてしまいます。
重みのない文章というのは
お金を払ってもらえるだけの
インパクトは与えられません。
下記の4つのパターン
1.長くて難しくて購入に至らない文章
2.短くて簡単で購入に至らない文章
3.長くて難しくて購入してもらえる文章
4.短くて簡単で購入してもらえる文章
があるとしたら
もちろん4番を目指すべきですが
それは正直、
プロの中でも本当に一部の
天才と呼ばれる人たちが
活躍できる領域だと
思うのです。
で、あるならば現実的に見て
僕ら素人は本来の目的である
「購入」
を意識して3番であっても
いいと思うのです。
なのに2番を目指したがる人が
あまりに多い。
長くて難しいために
最後まで読んでくれる人が
10人であっても
5人に買ってもらえればいい、

その一方で
短くて簡単で最後まで
読んでくれる人が
1000人いたとしても
興味が薄く、すぐに
他に目移りして
一人も買ってもらえない、

のであれば
その文章を書く本来の目的からは
遠ざかってしまうと思うのです。
では
長くて難しくても
最後まで読んでもらえて
心にフックされる文章を
書くにはどうしたら
いいのでしょうか?
読み手(お客さん)というのは
知らないことを知ろううとする
その意識が高ければ高いほど
真剣だと言えます。
知らないことを知る
というのは
苦痛を感じることが多いです。
なぜなら
知らない=初めて
つまり脳が慣れてないので
「難しい」
と感じてしまうのです。
簡単に理解できる
というのは
知ってることの
連続に過ぎないのです。
だから文章も長くする必要が
そもそもないのです。
知ってることの連続である
ということはつまり
軽く思われがち。
最近ではインターネットが
生活の中に本当に深く
入り込んでいるので
かなり詳しい情報が
いつでもどこでも手に入ります。
読み手であるお客さんの方が
プロである売り手(書き手)よりも
情報においては
詳しかったりします。

これは自分がお客さんの立場でも
売り手の立場でも
何度も経験したことがあると思います。
すでにお客さんが知ってる情報を
書き手がおもしろおかしく
わかりやすく説明したところで
「わかるわかるー」
「ははは、そうだねー」
「うまいね〜!面白い!」
と共感は得られるかもしれませんが
軽く見られてしまうのです。
ではどうしたらお客さんが
書き手である私たちの文章を
難しくても真剣に読むか?
それはお客さんが
「望んでいる」内容でかつ
「知らない」内容を
わかってもらえるように
伝えることです。
そこに文章の長さとか難しさ
といった要素は実は
あまり関係なかったりします。
難しくても長くても
真剣であれば読んでくれます。
この真剣さを
どれだけ引き出せるか?
の方がよほど重要なのです。
ではどうやって
その真剣さを
引き出せばいいのでしょうか?
先ほど、
お客さんの方が
プロである売り手よりも
情報においては
詳しかったりします。
と書きました。
なぜお客さんの方が
プロよりも情報が
詳しいのでしょうか?
それはその商品を利用する
真剣度の違いです。
売り手である私たちは
自分たちが提供する商品を
利用者として使った事がない
ということは
よくあることです。
使い方を学ぶために
「1度だけ使ったことがある」
そんな程度だったりします。
一方でお客さんは
生活の中でそれを
利用するとなれば
いいかげんに選ぶわけには
いきません。
つまり利用する頻度が
高ければ高いほど
真剣にならざるを得ないのです。
売り手である私たちが
通り一遍等の情報しか
学ぼうとしないのは
この「差」にあると思うのです。
そんな通り一遍等の情報を
いくら短く簡単に面白く
説明したところで
心に響くはずがありません。
それよりも
「そこ気づかなかった!」
「そこ知らなかったけど重要じゃん!」
「なっるほど〜、やっとわかった!」
「そんな所まで行き届いてる商品なんだ!」
「そんなことまで知ってるの?」
「それは確かに難しい話だけど
 それを避けずに丁寧に説明してくれた!」
これをいかに
相手に伝えきることが
できるかどうか?
を真剣に考える事が
どんなに長くても
最後まで読んでもらえる
まず最初の一歩だと
思うのです。
同じ利用者の立場になった時に
「ここ誰も疑問に思わないのかな?」
という部分を発見する癖を
身につけましょう。
それには日頃からもっと物事を
「丁寧に」
観察する必要があります。
丁寧に観察していれば
必ずそれらは発見できます。
それらを多く発見できるように
なればなるほどネタは増えます。

そのように発見したネタは
インターネットに情報が
溢れていることはありません。
その利用者として発見した
貴重な情報をプロとして
長くても難しくても
丁寧に説明する、
そんな丁寧な仕事を
続けていれば
短くて読みやすくて
ウケのいい文章よりも
本当に役に立つ
情報を発信し続けることが
できると思います。
繰り返しになりますが
それには訓練が必要なのかも
しれません。
ただ読みやすくて簡単なだけの
文章を書く訓練よりも
つまらなく険しい道のり
なのかもしれません。
それでもビジネスという
フィールドにおいては
後者を選ぶことが
重要なのではないでしょうか?
人気者になりたいのでしょうか?
お客様の役に立つ情報を
発信し続けたいのでしょうか?
それによって
書き手が何に重きを置くかが
変わってくると思います。

問題未解決法と問題解決法

こんにちは
岡田です。

先日、とある相談を受けました。

「最近、アイミツ(相見積り)
 ばかりです。

 競合で一社、
 超安売りをしている
ところがあり、
 もうめちゃくちゃです。
 いつも負けて
契約を取られています。
 何か打つ手はありませんか?
 ずっといろいろと考えていますが
 このままではジリ貧です。」

という内容です。

もしご自分がこの相談をされた
立場だったら何と返答しますか?

相談されたシチュエーションは
親友や家族という立場ではなく

コンサルタントという立場で
相談されたら・・・です。

たぶん・・・ですが

まず返答の内容はともかく
そんなに悲観的にはならずに
冷静に答えると思うのです。

「どうしましょう?
 どうしましょう?
 とりあえずその競合会社に
 嫌がらせの電話をして
 事務所に石でも投げて
 窓ガラスを割っておきましょう!」

アタフタアタフタ・・・
とはならないですよね?

しかし相談する側は、
日々敗北感に押し潰されているので
なかなか冷静にはなれません。

感情的に声を荒げて
大袈裟に状況を説明し
八方ふさがり感を出して
失望感を露にします。

だからこそ外部の人間から
冷静にヒントをもらうことも
時に必要だったりします。

この時、
共感したり、
同情したり、
一緒になって悲観していると
気持ちが通じるので
「仲良し」
にはなれるかもしれませんが

未来が見えません。

さらに

大丈夫!
君ならできるよ!

と無責任に肯定的な
声をかけてあげれば

「この人はきっと良い人に違いない!」
とより深い絆を結べます。

それも大いに結構ですが
何をもって大丈夫なのか?
せめてそれくらいは
伝えてあげましょう。

大丈夫!
君ならできる!

これは親が子供に言うのはOKです。
長い時間をかけてその根拠を
気づかせてあげられますから。

もし「親友」として相談された
のであれば共感して同情して
一緒になって悲観すること
そして励ますことそれ自体が
目的になることもありますので
そういうのもアリだと思います。

親と同じ理由で親友なら
長い時間一緒にいることで
気づかせてあげる時間的な
猶予があるからです。


しかし今回はコンサルタント
として相談された場合です。

いや現実的にコンサルタント
という仮の立場でなくても
普通に相談を受けることって
あると思います。

しかし
コンサルタントという立場であろうが、
普通の立場であろうが

相談してくる相手は
親友や恋人、家族ではない
ことの方が多いと思います。

ご自分を振り返ればわかると思いますが
ビジネスの相談を家族や恋人にしますか?

どちらかと言えば普通の友達とか
知り合いとか何かのコミュニティの仲間とか
それくらいの関係だと思います。

で、あれば一緒に愚痴って
悲観することは長い目で見て
避けた方がいいでしょう。

感情的にならずに冷静に
「憶測と事実を分けて」
答えることが当事者が恥を忍んでまでも
相談した甲斐があるのではないかと。

かと言って直接的に
答えを言ってしまうと
それはそれで依存が始まりますから
難しいところです。

僕の場合は特にコンサルタントなので
直接的な答えを言わないまでもある程度、
問題が突破できる糸口まで
導く意味で答えなければなりません。

感情的になって
憶測で言っているものを
事実の部分だけを抜き出して
説明ができれば
問題突破の糸口は見えてきます。

しかし

自ら相談をしてきているのに
事実の部分を抜き出す事を

怖がる人がいます。

なぜなら事実だけが明確になると
自分にとって都合の悪い部分が明るみになり
原因が自分にあることが
わかってしまうからです。

それを無意識に察しているから
怖がっているのです。

そのため相談している人は
感情的になり自分の弱さを隠します。

別に責めるわけではないので
正直に言ってもらった方が
早く楽になれるのに

「すごく安い」とか
「いつも」とか
「どんなにやっても」とか
「ずっと」とか
「超●●●」とか
「めちゃくちゃ」とか

そういう「あやふや」な
言葉を使います。


これだけあやふやな言葉で
事実の部分をぼかせば
見えるものも見えません。
見えない部分が
多くなればなるほど
不安になります。

不安になる最初のきっかけは
全体が詳しく
把握できていないこと、
つまり見えていない事です。


もう一度見てみましょうか。

「最近、アイミツ(相見積り)
 ばかりです。

 競合で一社、
 超安売りをしている
ところがあり、
 もうめちゃくちゃです。
 いつも負けて
契約を取られています。
 何か打つ手はありませんか?
 ずっといろいろと考えていますが
 このままではジリ貧です。」

どれも具体的に見えそうで

見えない表現です。

「いつも」っていつからいつのことでしょう?
「いろいろ」って何をどうしてみたのでしょう?

「めちゃくちゃ」ってどれくらいでしょうか?

それがわからなければ
自分の中ではめちゃくちゃな
ままででしょう。

「ずっと」って自分で言っていれば
「ずっと」なのでしょう。

不安になるのも当然です。

一応お伝えしておきますが

「女性が相談をしてきたら
 問題解決をするのではなく
 話を聞いて欲しいだけ。
 具体的な解決策は言う必要がない。」

と巷でよく言われていることを
十分わかった上で
今日の話を敢えてしております。


心理学を多少でもかじると
「相手が言った言葉を
 オーム返しに言いましょう!」
という術を習います。

そしてそれは確かに
精神的にとても心地よく、
相手を気持ちよくさせます。

ところが、ここで
「ずっと大変だったんだね。」
「ずっと嫌な想いをしてきたんだね。」
などと一緒になって
「ずっと」という言葉を
オーム返しに使えば
「これからもずっと不安だよね。」
と不安をすり込むようなものです。

これらの不安を解消するには冷静に
「憶測と事実にわける」
作業が必要です。

特に仕事においては
感情的にならずに
冷静になる必要があります。

冷たいと
感じるかもしれませんが
冷静とは
まさに冷たいという字を
使いますので
冷静さを求める時には
必要な要素なのです。

しかし確かに

感情的になっている時に
いきなり冷静さをもって対応しても
心を開かないのも事実です。

心を開いてもらうために
先に紹介した
同情したり共感したりすることは
否定はしません。

ただ、それだけでは
未来はないということを
お伝えしています。

どこかで冷静になって
次の手だてを考えなければなりません。

その時に
いつまでも抽象的な言葉を
使い続けていたら
問題は解決しないまま
また不安の世界へ逆戻りです。

不安を解消するには

問題となっている事実を
具体的に明らかにして
具体的な方法をもってして
対処し続ける

これしかありません。

それを続けられるようになると
仕事がデキル人となっていきます。

仕事がデキル人に関しては
さらに詳しく、
さらに多くの事例や方法を
紹介するセミナーを行います。

冒頭で受けた相談内容

「最近、アイミツ(相見積り)
 ばかりです。

 競合で一社・・・・。」

も、さらに詳しく
事例などを紹介しながら
解決に導きます。


仕事がデキルって
どのレベルのことを言うのか?

具体的にどうすればいいのか?

そんな内容もお伝えしますので
興味がある方はぜひお越しください。
https://www.facebook.com/events/1703413043313179/

Blog Menu ブログメニュー

このページのトップへ