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儲ける脳のつくり方

「ビジネス心理」の記事一覧

2つの学び

こんにちは。
岡田です。
このブログを読まれている人は
勉強することが嫌いではない
人が多いと思います。
学ぶことが楽しかったり
喜びだと感じている人が
読んでくれているんじゃないかな
と勝手に思い込んでおります。
そしてもし本当にそうであれば
僕としてはかなり嬉しいです。
さて
タイトルにもあるように
今日は「学び」について
書きたいと思います。
学びには2種類あると思うのです。
一つは事実に対して
その現象や事象の
理由などを突きつめたり
論理的な分析によって
答えにたどり着く過程での
学びです。
それはどういうことなのか?
なぜ、こうなったのか?
どうすれば良かったのか?
なぜ、そうなると思うのか?
どうやったらいいのか?
などなど。
誤解を恐れずに言葉にすれば
科学的とでも言うのでしょうか。
全てではありませんが
この科学的な学びをする時に
邪魔になるのが感情です。
感情が理性を失い
勝手な思い込みで
事実を歪めてしまうことが
多々あります。
次にもう一つの学びとして
目の前にある事象や現象の
理由や根拠などの
論理的な分析は一切せずに
いつもと違った見方をすることで
自分の心のありようや
受け止め方を変えることで
自分の中でその事象や現象を
消化して納得してしまうことです。
これも誤解を恐れずに言えば
哲学的とか宗教的とか
言うと理解してもらいやすい
かもです。
これをビジネスの場面での例え
で説明すると
たとえば納品した商品が
すでに故障していて
クレームが起きた時に
なぜ故障した商品が
届けられてしまったのか?
チェック機能が働かないのは
どこの部分だったのか?
そもそもどこで故障が生じたのか?
などを追究して
二度と同じ過ちをしないように
するのが前者の学びです。
それに対して
クレームという
嫌な事実に対して
受け取り方を変えて
クレームを言ってくれるのは
愛されているからこそであり
それは嫌な事ではなく
むしろ喜ばしいことなんだ!
と何かをきっかけに
気づくことで落ち込まずに
前に進むという学びです。
これはどちらが正しいとか
どちらかでなければ
ならないという話では
もちろんありません。
両方必要だと思います。
無責任な言葉を使わせてもらえば
バランス良く2つの要素を
取り入れた方がいいでしょう。
これがどちらかに偏ると
たとえば前者に偏り過ぎると
原因追究とその対策が
最優先事項になり
謝罪を忘れがちです。
「謝って故障が直るなら謝りますけど。」
大袈裟に言うと
こういう態度が
見え隠れします。
原因を突き止めて
そこを改善しなければ
同じ問題が起きるので
そこの部分だけで言えば
彼らにとって謝罪には
意味がないのです。
一方で後者の学びに偏り過ぎると
どんなに怒られても
「ごめんなさ〜い。
 でも、そっかぁ。
 私たちって愛されてるってことよね。
 ラッキー!うふっ!!」
で終わってしまい、
いつしか呆れられて
愛されなくなります。
どちらもやや大袈裟に書きましたが
実際この手の輩が本当に存在します。
数は少ないですし
信じられないかもしれませんが
本当にいます。
「学びが楽しい!」
「学びは成長だ!」
と感じ、
突き詰めていき
その度合いが過ぎると
こういう人たちが現れます。
嘘でしょ?
どういう神経回路してるんだ?
と疑いたくなりますが
ただ、もしかしたら
僕たちもどこかで
そう思われているかもしれません。
今まで仕事をして来た上で
そういう節があったかもしれない、
自分は両方のバランスを
適度に取り入れている・・・
と思っているのは
実は自分だけであり
意外と同類に思われているかもしれません!
という警鐘を鳴らして
おこうと思います。
人の振り見て我が振り直しましょう。
学ぶのはいいことですが
どちらかに傾倒し過ぎた学びは
知らぬ間に紹介した
事例のような人間に
見られてしまいますので
学び方には注意しましょう。

仕事やサービスの質の低下の原因

こんにちは
岡田です。
 
2016年最後のブログ更新です。
さて、
今日の記事は自分に
言い聞かせる意味も含めて
厳し目に書きたいと思います。
 
最近、
世の中で受けるサービスが
目が点になることが多いです。
 
俗に言う

「俺は客だぞ!
 俺は金を払ってるんだから・・・」

的なクレーマーとして
言っているのではなく
無言の悲しみとして

「まじか〜。残念過ぎる。。。」

と心の中でつぶやいてしまう
扱いを受けることが
本当に多いです。
 
日本人ってこんな感じだったっけ?
 
逆に昔ではごく普通の
サービスだったものが
今、そのサービスを受けると
「伝説のサービス」
がごとく語られます。
 
それはそれで
結構なことですが
うがった見方をすれば
あまりにもお客さんへの
扱いがひどいお店が
増えてきたおかげで
普通のサービスが
伝説化してしまうって
手放しで喜べない、と
僕は思ってしまうのです。
 
なぜこんな時代になって
しまったのでしょうか?
 
僕は前々から思うのですが
どうも「自分らしさ」とか
「あなたはあなたのままでいい」
というフレーズを
大きく誤解している人が
多いと感じます。
 
そしてその誤解が
誤解されたまま
メジャーな考え方として
ある種の勘違いした人たちによって
今の世の中を作っている気がします。
 
またハラスメント問題が
大きくとりあげられる
時代の弊害が
このような自体を
招いていると
思わざるを得ません。
 
何が言いたいのか。
 
それは
 
最近、本気で誰も叱ってくれない
世の中になってしまった
 
ということです。
 
特に上司や先輩。
 
愛情を持って叱っても
ハラスメントとして
訴えられたらそれで終わりです。
 
叱ると返り討ちに会う。
 
叱るどころか
「指摘」すらも
怖くてできないのが
本音ではないでしょうか?
 
その仕事や作業をしている
部下や後輩は
「それでいい」
と悪意なく思っているのでしょう。
 
本人はそれでいいと
思っているのですから
改善のしようがありません。
 
自分の不手際を
自分で気づける人間なら
お客さんのため息や
肩を落としたことを
見逃しません。
その瞬間に
自分のしたことを省みます。
 
そこから自分の不手際や
改善の余地を探ることで
自分の成長を自ら
課せる人となるでしょう。
 
そういう人にはまさに
叱る必要などないでしょう。
 
ところが
 
その訓練を受けずに
 
「いいんだよ。いいんだよ。
 そのままでいいんだよ。」
「あなたはあなたのままでいい。」
 
という周囲の甘い言葉を
そのまま解釈して
 
「自分は一切変化する必要なし!」
 
と思い込み
自分と違う上司の価値観を
攻撃の対象としてみなし
パワハラとして法律に委ねる。
お客さんから怒られても
質の悪いクレーマーとして
相手にもしない。
 
そんな人たちが
自分の成長という変化を自ら課す
その訓練はいつどこで
体験できるのでしょう?
 
経験もしたことがない、
経験するつもりもなければ
気付きさえもしない
 
そんな人がいつどこで
どう成長するきっかけを
見つけられるのでしょう?
 
また厄介なことに法律が
彼ら彼女らを過度に擁護する
時代になってしまっています。
 
法律がそうであるなら
叱る義務も指摘する義務も
つまり教育の義務も
放棄したくなるのも
無理はありません。
 
それでも上司たる人間は
その法律を遵守し
教育を放棄しては
いけないのです。
 
しかし、
 
しかしですよ。
 
そういう上司や先輩は
強くなければ
とてもじゃないですが
今の世の中は
やっていけない
環境や文化になってしまって
いるのです。
 
ちなみにここで言う
「強さ」とは
優しさや余裕を持ち合わせて
他人のために時間や苦労を
惜しまない人間です。
 
ではそういう強さを
持ち合わせる為には
どうしたらいいのでしょうか?
 
どうしたらそういう強くて優しい
愛情のある上司が
育つのでしょうか?
 
今、権利だけを主張して
自分のいい加減な仕事は
棚に上げて
ちょっとでも
自分に気に入らないことがあれば
「ハラスメント」
として訴え
法律に守ってもらい
お客さんをお客さんとも思わず
感謝の念を教わる事もなく
「自分は一切変化する必要なし!」
と思っている、
そんな人の未来に
何があるのでしょう?
 
その人が時間の経過とともに
「強い」上司になるとは
到底思えないのです。
 
自分以外無関心。
 
そんな上司はもちろん上司ではなく
その下についた部下は
本当に仕事としての
幸せを見つける事が
できるのでしょうか?
 
部下のうちはそれで
いいかもしれません。
(僕は良いとは思いませんが)
 
しかし未来において
自分に後輩ができ、部下ができ
チームで大きな仕事をする時に
それに耐えうる人物になる訓練を
いつするのでしょう?
 
その訓練は
自分が若いうちに
するしかないのです。
 
では、
「あなたはあなたのままでいい。」
「そのままでいいんだよ。」
という思考は間違いなのでしょうか?
 
僕はそんなことは
ないと思っています。
 
そのままの解釈だと
誤解してしまう人がいる
と言いたいだけです。
 
たとえば
 
上司が部下の行動に対して
厳しく叱責したとしましょう。
 
部下はもちろんそれの何が
悪かったのか気づいていません。
 
上司の価値観を
部下に無理矢理押し付けて
それを行動として強いたら、
僕はそれはパワハラだと思います。
 
しかし、あくまで上司も人間です。
価値観を示すことは
何も悪いことではありません。
 
上司の立場として
職場の先輩として
人生の先輩として

「俺は過去の経験から

 こうやった方がいいと思う、

 そう教えたのに、

 なぜやらなかったの?」

と指摘したり、時に叱ることの
何がいけないのでしょう?
 
叱られるというのは
価値観の違いを
見つけることなのです。
 
部下は良かれと思って
こうやった、
でも上司はその価値観が
あり得ないと思った、
 
その違いが見つかった
ということに過ぎません。
 
つまり
 
ここからが対話の始まりなのです。
 
どっちの価値観が正しいとか
それを押し付けるとかでは
ないのです。
 
対話によって
自分のしたことが
良かったのか悪かったのか?
上司の価値観が果たして
本当に最善なのだろうか?
いろんなことを
気づけるチャンスでもあり
始まりなのです。
 
たとえ過去にその上司が
うまくいった成功事例を
示してもらったとしても
自分のやり方をどうしても試したい、
そうすることで
もっとお客さんが
喜んでくれるかもしれない、
それをしたいんだ!
 
という強い意志があれば
それこそが
 
「あなたはあなたのままでいい」
「そのままでいいんだよ」
 
と言えると思うのです。
 
対話をもってして
上司という違う価値観の
壁を乗り越えて
そこでようやく
世間の荒波に
向かって行けるのです。
 
言わば上司の反対意見は
世間で通用するかどうかの
フィルターの役目なのです。
 
その愛情ある壁や坂道を
最初から平坦なものにするために
 
対話を始めることなく
自分がラクできるようにやる、
叱責しようものなら
パワハラとして訴える
 
それは上司が部下に
不条理な何かを強要するのと
やっていることは
大して変わりません。
 
まずは対話を始めることが
大切なのに。
 
「そのままでいいんだよ」
 
という言葉は音調としては
とても優しい音調ですが
実は前提としてそこには
価値観の違う人との対話があり、
それを乗り越えて
自分で行動としての責任をとれる
そんな一面も内包しているのです。
 
それを
「変化しなくていい」
と勘違いしていると
どこまでも甘い世の中、
舐めきった人生を
歩むことになると思います。
 
成長をしたいのなら
叱ってもらった方が
実はラクなのです。
 
こういうことを言うと
 
「え?変化しなきゃいけないの?」
 
と言い出す人がいます。
そういう考えの人がいたら
逆に聞きたいです。
 
「あなたは昨日のあなたと
 まったく同じなのか?」
 
と。
 
「変化しなきゃいけないの?」
ではなくて
 
「変化してしまうのが人間」
なのです。
 
だったら
「変化しなきゃいけないの?」
ではなくて
変化してしまうのであれば
「どう変化したら自分にとって
 良い人生になるのか?」
を問うた方がよくないですか?
 
それを踏まえた上で
自分のやりたいように
やればいいと思うのです。
 
そこに上司の価値観に
合わせる必要などどこにも
ありません。
 
あなたはあなたのままでいい。
 
そこには責任が発生し
その責任ある行動と
試行錯誤の末に
やりきった仕事や
提供するサービスには
強い意志や魂が
必ず宿ります。
 
そのサービスを受けたお客さんが
「残念に思う」
事などそうそうないと思います。
そう思うのは
僕だけでしょうか?

オススメの読書法

こんにちは

岡田です。

最近、読書量が完全に減りました。

30代の時はとにかく読みまくりました。

多い時で年間200冊くらい。

僕は速読が出来ないので

(色々試しましたが断念)

普通に読んで年間200冊は

まぁ多い方だと思います。

ちなみにメンタリストのDaigoさんは

1日10冊〜20冊くらい読むそうです。

1日平均15冊だとしても

年間5000冊くらい読むことに なりますね。

そこまで突き抜けると 世界は変わる気がします。

きっと読書が好きなんでしょうね。

もちろん僕も今でも 読書は好きな方です。

ただ読書が好きというよりも

厳密に言えば知らなかったことを

新たに知る喜びを感じることが

好きなんだと思います。

話は変わりますが

お陰さまで最近は

ブログを読んでいただいた方から

感想をいただけるようになりました。

「なるほど〜」

「わかりやすい。」

「腑に落ちました。」

などなど嬉しい言葉が並びます。

なぜこれらの言葉が嬉しいのか。

それは僕が一般的に難しい

と言われている内容や

誰も説明したがらない内容を

僕らしい論調で

なるべく読者の方に理解してもらえる様に

書くことを 心がけているからです。

この心がけている事に対して

読者の方が直球でその部分を

褒めてくれるから嬉しいのです。

「心がけています。」

と言うだけなら簡単ですが

では具体的には

何をしているのでしょうか?

僕の場合は 自分で書いたものを

何度も読み直します。

読み直してわかりづらかったり

もしかしたらここの部分で

誤解を招くかもしれないとか

色々考えて何度も推敲します。

厳密に数えている訳では

ありませんが、

恐らく20回以上は

読み直しては修正して

を繰り返しているでしょう。

なので1記事を完成させるのに

何時間もかかります。

何も推敲しないて書けば

10分程度で書けます。

何も推敲しないで

10分で書いた記事と

何時間も修正を重ねて

完成させた記事と

どれくらいの差があるのか?

と言われたら もしかしたら

殆ど差らしい差は

見当たらないかもしれません。

ちょっと悲しいですが・・・。

それでも僕は

丁寧に記事を書くようにしました。

その頃からでしょうか?

僕は本を読む量が 減りました。

ただし1冊を読むのに

費やす時間がとても増えました。

めちゃくちゃ丁寧に

読むようになりました。

著者が恐らく何ヶ月もかけて

仕上げた1冊の本を

2時間程度で読み飛ばしたく

ないからです。

年間何百冊も読んでいたことは

それはそれで良かったです。

ただブログの記事を

丁寧に書くようになり

本を丁寧に読むようになると

世の中も丁寧に

観察できるようになりました。

これが本を読む量を少なくして

丁寧に読むようにした

最大のメリットです。

世の中を丁寧に観察 できるようになると

問題が問題でなかったり

表面的な問題に

右往左往しなくなります。

軽々しい発言で

失言をする回数も

かなり減りました。

あと、これはあまり

言わなくてもいいことなのですが

他人の嘘がすぐにわかります。

丁寧に観察すれば

つじつまの合わないこと ばかりが

実は世の中なのです。

そこに疑いが発生し

それに対して質問をして

つじつまが合えば

自分の誤解で済みますし、

逆に何を質問しても

いつまでもつじつまが

合わないことを繰り返されると

どんどん真実から遠ざかるのが

わかります。

他人の嘘を暴く事が

本来の目的ではないので

他人の嘘などは

かなりどうでもいい話ですが

世の中の真実を

見極めるようになりたければ

その訓練の一つとして

読書をする際に

丁寧に一文字ずつ

噛みしめるように読むと

いいかもしれません。

僕はオススメします。

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